美容外科医のないしょ話
今時、珍しく?…食後の片付けをしない私である。云いかえれば、古い沖縄型男性タイプか?とも思っている。確かに食べるだけの男ではあるが、それでもリンゴの皮むき位はする。その後、剥かれた皮は流し台、汚れたティッシュは燃えるゴミへと分けている。
先日のゴルフ場、バナナの皮捨てに困った。燃えないくずか?で迷い、結局燃えるゴミへ収めておいた。病院ではこのようなこと毎度のことである。針やメス、注射器は特殊な箱へ…ガーゼは燃える医療廃棄物に分類し捨てる。過日、手術で摘出した組織を医療廃棄物に入れようとしたら看護師さんに叱られた。「臭いがあるものはビニールで密封して下さい。異臭を放ちます。」…云う訳である。我がクリニックもきちんとゴミを区分けし、細事をリードする素晴らしい女性がいたのである。
沖縄の男性たる私、少しは成長し、彼女達の爪の垢でも煎じねばならないと感じたが…!然し?である。血液のついた鼻紙は医療ゴミ、ついていないペーパーは普通ゴミ!!捨てるありかを探すクセがつき、最近手術、治療後に落ち着く時間的余裕がない。ある日、以下の注意書が医師会から届いた。医師は医療廃棄物を分別・区分、さらに最終処理場まで見届ける義務がある…。つまり、行政通達はゴミ分けのみならず、病医院に重たい社会的義務条件を課し医療人は燃やす所迄最終責任が負わされているのである。
それ故、捨てたゴミが気になり処理業者さんが来られる日、どのように廃棄されているか!確認しているが…、然し、その前に私自身細かく分別し、お渡ししないと意味がなく日頃の無情を面映く反省した。先日も何気なく入れた紙クズをふと思い起し、拾い直したが…それにしても、毎日・毎回の食べクズ捨てるゴミを区分するうちのカミさんや、看護師さんには感心する。食事の後片付けさえ出来ない男が最近、仕事柄少しずつ成長を遂げつつある。即ち「捨てる紙あれば、拾うカミさん」ありなのである。
おしゃべりな女の子!!小学校入学前…5~6才のお子様であろうか?唇に怪我、付き添いのお母様は血の気が失せた表情で心配そう。「大丈夫でしょうか?女の子の顔なので…」確かに顔の怪我である。
云われなくてもお母様の心配していることはよ~く理解しているつもりではあります。我々にとって毎日の事ではあるが、お母様にとって初めての事かも知れない。自分の責任とお考えかも知れないし自分の顔に怪我を受けたと同じような思いの母親の気持ちも長年このような職業を続けていると良く分かる。
でも…おしゃべりな女の子はあっけらかんと、たわいのない事をしゃべっている。思わず私は「良くおしゃべりしますネ」深刻でご心配なお母様に話しかける。怪我の程度や治療法、将来の予測など聞きたいこと山ほどのお母様にすぐ本題に入るより多少の間を持たせたい為でもある。
然し、女の子は勝手に会話の輪に入りたがる。「そうなの、わたしネ、おしゃべり○○で有名なのよ」今度は私の方が心の中でくすっと笑って肩の荷がおりた。
小学校に入った女の子はこのようにいかない。初めから病院に来るのに躊躇がある。医者の顔さえ見ようとしないのである。すでに賢さと云う知識が埋め込まれているのかも知れない。
このような女の子に、看護師さんが今度は繰り返しおしゃべりをする。時には1時間以上に及ぶが、その間、私は手術場で待ちぼうけとなる。おしゃべりな女の子も傷を縫合するとなると、途端に異常な雰囲気に気がつき、泣きじゃくる。その時、必死に話しかけ、なだめすかし、あやしたりするのは看護師さん達である。私はただ、手早く手術を終えてしまう役割でしかない。
抜糸日の術後、あれほどおしゃべりであった女の子も、もはや私をみて可愛い笑顔やおしゃべりをしては下さらない。その時、そばに付き添うお母様のほっとした表情の崩れが私の心の支えになる。まぁ~、これが男の仕事かと思った、あの日のいつもの出来事であった。
非常に苦労した手術!!…過去に幾つか心に残っています。私だけではなく、外科医は時々に術前には予想されなかった術中経験即ち「リスクの一歩手前」の経験があるはずです。
でも!この事は術後に患者さんに詳しく伝えにくいものです。専門的に分析するとリスク原因は色々あり、術後の不安を増強させる訳にもいかないからです。難治な治療、心の中で溜め息をついた経験、ヒアリーハットも雑多な意味合いが含まれているのです。出血が止まりにくかった時ヒアリして、思わぬ所に予想外の神経が走っているとハッとします。術中の難関突破には時間はかかりますが、結果的には何事もなかったかの如く終了する訳です。この事は術後に愚痴っぽく口走るのではなく、きちんと同僚に伝え、危険を共有します。
どのような外科医にも辛かった、精神的に疲れた気分があるのがヒアリーハット事例ですが…でも、これが外科医の毎日です。「疲れた、骨がおれた」口が裂けても云えません。この仕事を選んだのは自分自身であり、辛ければ辞めれば良いだけ、どのような職業だって、辛くて大変な作業部分はあるでしょう。帰宅後も…俺は頑張れた!云いたい気持を抑えます。うちのカミさんだって彼女なりに毎日を頑張っているに違いないからです。彼女から言葉はなくても、何気なく感謝の気持ちが伝わる時があります。食卓にあったかい夕ご飯が用意され、疲れを休めるふわふわ布団に入る時、「やったネ!にやり」気分になりますが、やったネの気持はあの辛かった苦難を乗り切った「ほっと」のご褒美。「にやり、ほっと」する瞬間でしょう。
物云わずとも、うちのカミさんは長年の勘で分かっていたのですネ。当然の事、振り返ってみますと、うちのカミさんにもきっと辛い家庭内の出来事があったのだろう…思った時、隣の花屋で小さな花束を買ってみました。少しは温かい気持のお礼にと思ったのですが口に出せず「静かにそっと」心に残るよう差し出しました。
先日のある日の事、うちのカミさんが難しい顔で覗き込んでいる1枚の紙…。真剣で全項目にチェックを入れている姿をみて、つい興味をもってしまった。
覗き込んでみると、過日行った私の定期健康診断の結果表である。肥満度などをみていると思ったが…あにはからんやである。肝・腎機能、血糖値、ひとつひとつの項目にチェックが入っている。
覗き込んだ成績表が自分自身のものであるから今更、その場から離れる訳にはいかなくなってしまった。まるで小学生が学期末の学業成績を母親にチェックされているようなものである。
そこには、ぐうたら亭主の生活態度と云う明らかな成績が点数で示されていたのである。学生の成績は5段階方式だが、私の成績表は実に細かい点数配分となっており誰がつけた成績なのかは分からないが、痛い思いをして採血された結果が残されている。私は云い訳をしなければならなかった「昨年より悪くはなっていないでしょう」「肝機能は、検査前日、模合仲間とお酒を飲んだからですよ」…等々である。
驚いた事にやおら立ち上った彼女はいつも大切な物をしまっている引き出しを開け、何か探している。やばいことと私はすぐに気がついた。彼女が取り出した古い5枚の紙、5年前からの健康診断結果である。おもむろに彼女は私に以下の如く伝えてきた。「昨年の結果より良くなっていません。毎年の検査前、お酒を控えるのは医者であれば分かって当り前の事です。」云われることは分かっていたが、まともに云われてみても反論の余地はない。まるで、本当に小学生に返ってしまった心境であるが…この年になって迄、何故に成績でビクビクしなければならないのか、定期健診がうとましくなってきた。
ある日の事。うちのカミさんが熱心に一枚の紙をチェックしている。私の検査成績ではないようである。近づいてみると、食料品の保存状況や食事メニューの幾つかであった。うちのカミさんほど成績優秀な女性はいないと感心した。
私は医者、小さなクリニックの経営者でもあるが…労働者でもある。私自身が広告塔になったり、宣伝マンになる時もある。時には勉強会や職員との飲み会を計画、ホームページもチェックする。
このように多くの慣れない仕事もするので、時にはつまらないミスも起す。然し、小さなミスは企業の最高責任者の立場に立った時、他の職員への示しがつきにくくなる事もしばしばだ。小さなクリニックでもそれぞれに専門職が必要となる。私に院内の汚れた衣服を洗濯させたとしたら、まともな洗い方、干し方は出来ないのであろう。私が受付窓口を担当しても、来院される患者さんに常に笑顔でご挨拶出来るかと疑問でひょっとすると若い女性は逃げてしまうかも知れない。私にはあの看護師さんの優しい物腰など真似が出来ないし医者は偉そうにして、尊大だ!!…と云う声があるのも私は知っている。
見方を変えれば、偉そうにしていなければ経営者の威厳が保てず、他の専門職に負けそうになるのかも知れないのである。自信のない空威張りこそが偉そうにみえている源なのかも知れませんと思ったりもしている。
実はこの原稿作りでさえ、練り上げ作業を幾度となく我が秘書にやってもらっている。その為、いつも締切りギリギリにやっと間に合う。多大な労力と小さいながらの専門職の意見や仕事、人の和で成り立っているのが我がクリニックであるが、案外支えてくれているのは患者さん達なのではと思うこと都度都々である。
我々は物を作って売る仕事や何かを見せる仕事でもなく、人様の身体にメスを入れる仕事、考えれば…或いは考えなくても恐ろしい手作業をしているのだな~と分かるが…然し、日々の事だと人様の支えを忘れがちになったり、感謝の気持ちが薄れてしまう事がある。これがつまらないミスの原因では?等々、思考するが…その時、ふと振り返り、自宅でドンとかまえているうちのカミさんを想い浮かべ流れ作業的日常習慣を見直したりするのである。
「院長!今日はかっこいい…」朝一番、ベテランの国吉さんが私に声掛けして下さった。毎日仕事場で顔を合せている彼女です。「どうして?」何故かっこいい本日の自分かを聞いてみることにしました。
髪はボサボサ、毎日が徹夜みたいで寝不足の連続です。かっこいい訳はありません。「ネクタイがステキなのですよ。」彼女はその理由を正直に答えてくれたが、ネクタイを褒められるとは思いませんでした。
思い起す迄もない事ですが…医師に成りたての頃、主任教授に教わった第一が服装をきちんとすることだったのです。その時、付け加えられたのがネクタイ着用です。昔々、ベン・ケーシースタイルと云う白衣があります。襟首がついた半袖の白衣です。
当時、かっこいいスタイルがアメリカから入ってきましたが、この白衣にはネクタイが不要でした。私の主任教授はドイツ派であり、日本的でした。ベン・ケイシーより野口英世や北里柴三郎タイプなのです。日本の患者さんには日本的白衣とネクタイで対応するよう強調されました。
若い時に覚えた…覚えさせられた習慣は中々捨て去る事が出来ないものです。その頃からいつの間にか、私の洋服タンスには沢山のネクタイがあり数十年と云う長い歴史が過ぎていたのです。日本では現在、夏にクールビズが流行し、沖縄ではかりゆしウェアーが定着していますがさすがに白衣型かりゆしはありませんし、改良されたクールビズ白衣も存在しません。
夏にスクラブ手術着を着けることはあっても、冬になると寒さが堪え古典的白衣となるのが我々なのです。そこで、渋いのでは?…と思いつつ取り出してみた本日の懐古型ネクタイ!着用してみたその日の朝、「かっこいいですネ」まさかの一声でした。
なるほど、古さも又、味わいがあるものか?遠い昔の恩師を想い浮かべ、心の中でニタ~っと笑った一瞬でしたが…褒めて下さった国吉さん、彼女こそ懐古調の古典派タイプであるのを危く見逃す所だったのです。
身体は華奢だが、うちのカミさん常に自信たっぷりである。家族の病気も医者の意見より自分の勘を大切にする時さえある。時には私の治療を古い治療と決めつけてくるので用心だ!!
ある日、何気なくの夫婦の会話、テレビの女優さんを見て、あそこを美容整形しているわ!と私に告げる。そのカミさんの発言はいつも自信たっぷりである。「頬の所にヒアルロン酸を打っているのよ、以前はあんなにふっくらしていなかったわ。」「え~そうなの?」私は軽くうなずくだけにした。
その女優さんの以前と現在を比較した事がないからである。カミさんの自信たっぷりな発言は続く。「あなたもあの位の技術は習得して下さいネ。」まるで私が近代医療に後れをとった未熟な美容外科医である…と云わんばかりの発言である。
あの位の事なら日常やっているし、最初に学会発表をしたのは私ですよ!反論したかったが、やめにした。信じてもらえるはずもなく、かつ自信たっぷりな彼女の前では押し黙る方が利口である位は長年の結婚生活で身についている処世術でもある。
美容外科の外来では逆の事もある。誠に自信なさそうな女性である。手術しきれいになっているのに、私や看護師さんに改めて聞いてくる。「きれいになっているかしら?」彼女の自信なげな言葉は、こちらの気持ちが萎えてくるほどになる。このような方には術前写真との比較が一番分かりやすい、が…然しである。納得の術前は汚い顔なので見たくない!!と云われてしまう。
この理屈からすると、ある程度美しくなっていることは理解はされているようでもあるが…このような発言は得てして、自分に自信のもてない女性の特徴でもある。当然のことながら、容貌に自信ある女性は美容治療に振り向きもしない…が、その代表がうちのカミさんと称しても良い。
然し、うちのカミさん!美貌に自信はあるが、ひょっとすると最大の理由は亭主の腕に自信がもてないのかも知れず、自信が萎えている家庭内の私である。
顔の表情をつかさどる筋肉は少なくとも25以上あります。正確な数字を示せないのには理由があります。前記の数は細かな筋肉分類を除いての数字を示しているのです。
当然、両側対が普通ですが、人によっては欠如している筋肉もあり正確な数字を出しにくいのです。又、頚部、頭部とつながっている大きな筋肉もあり、どこからどこ迄が顔の筋肉なのか区別しがたいものもあり、重なり合っているものもあるのです。
この筋肉には起始部と付着部の2点が必ずあります。大方は骨、正確には骨の膜(骨膜)や皮下についております。このように筋肉は橋桁状に長く広がっており一方の接点が切れてしまいますと運動能力を欠くことになり萎縮していきます。反対に使っていくと強化するのが筋肉ですので恐らくおしゃべりな女性は口周りの筋肉が強くなっていると予想されるほどです。
然し一方で、筋肉の動きは表皮に小皺を発生させます。眉間の縦じわやカラスの足跡に代表されるものがそうです。この動きを止めるのに使われているのが、昨今有名なボトックス注射です。この注射は筋肉の動きを止め、小皺の発生を防ぐ役割がありますが顔面痙攣などにも使用され美容医療のみに限らないので重宝する注射であることに違いありません。
他方に於いて、顔面の筋肉はお互いが綱引きみたいに引っ張り合いしている所があるのです。つまり、口周りの筋肉に対しボトックスを打って筋力を弱めると逆に頬部の筋肉が力を増し、口角を挙げてしまうのです。
その為、ボトックス効果の難しさは左右均等に使用する量と目的の筋肉にきちんと注射されているのか?…の技術的ポイントが横たわるのです。私は時々にうちのカミさんが日常、額に青筋を立て、眉間に深いしわを寄せる時こっそり寝ている間にボトックスを打ってみようかなど、やましい心が動きますが寝ている時のうちのカミさんの顔はまるで仏様みたいに優しい寝顔なのです。この変化に驚いているのが日々の私なのです。
「若気のいたりです。」率直に誤り、治療をお願いする中年の男性!若い時のいたずらで…長い間、後悔をしながらも今まで治療に踏み切れなかった理由は何であったのか?ふと考えた。若い時、自分の身体の一部に異物を注射しているが、さぞ痛かったであろう…、誰しもが何の為?と、いぶかしげる部分である。
若い時の彼は物事を単純に考えていたのかも知れないと私は考えた。若さゆえだったのか?知的配慮が足りなかったのかは、もはや推し量るすべを知らないが…後悔しながらも長期放置していた理由も又、定かではなかった。
然し、異物が化膿し赤味や痛みが広がると、やむなくクリニックを訪れている。炎症ゆえ、異物摘出の判断をし、私は彼にお聞きした。「どうして、こんな事をしたのですか?」当り前の問い掛けに、彼の返事は正しく冒頭に記した如く「若気のいたりなのです。」で終了したのである。
若い時代のいたらなさを代弁していることは明々白々であるが…なんと、若さとはこんなに軽いものであったのか…、ふと我が身を振り返った。あの若い時代の有り余る余裕ある時間、もっと有効に過ごしていたら今頃、苦労して悟たりを得る為の再勉強などしなかったのに~など考えてみた。
それにしてもである。刺青を入れ、街中をかっ歩する若者がいる反面、泣きながら刺青を取りたいと嘆き、若気のいたりに気付いた若者達、その治療の狭間で嘆いている自分がいる。後悔しながらも治療費支払いにうめいている彼等達、一方、購入した高いレーザー機械のローンに追われる我が身でもある。
然しである。あの時、正しい治療と思っていた過去が、医療の進歩で振り返ってみると若気ゆえの手術であったのも認めねばならない事は沢山ある。それ故に現在の進歩した手術、さらに進歩した未来からみると未熟ゆえの手術だと評価されないか?心配だ。少しともうちのカミさんにだけは「若気ゆえの結婚だった!」など後悔させてはならぬと誓った新年である。
頭が良い評価とは?愚かにも自分と比較したり、考えてみたりする。医者は頭が良いのであろうか?小さな知識を自慢気に振りかざしているだけではないのか?看護師さんは?屁理屈に通じているだけではないのか?欠点をあげれば誰しもに弱点はある。弁護士が頭の良い職業だと云うつもりは毛頭ないが、然し…東大生が優秀なのは大学入学時だけである…とも反面思っている。
昨今、日本のノーベル賞受賞は東大出からはあまり出ていない。記憶力は良いが、応用力に欠けているのかも知れない。あるノーベル賞受賞者の方とお話しをする機会をもった。短時間の会話ゆえ?普通のおっさんとの印象もあった。でも、みなさんすごい人だ!それぞれにプロとして立派にお仕事をしているからである。若い時に蓄えた知識にさらに擦り込み作業をし、知識の泉を増やしているのであろう。そこの所が実は頭が良いのかも知れない。
何しろ、どこにいてもプロとしての知識を得ようする努力?…には敬服する。ある女子プロゴルファー同士の会話を聞いた。さぞ?技術的な事を話し合っているのだろうと想像したら実は違っていた。ファッションを含む、お洒落の話しである。さすが、女性のプロは違うと考えなおした。美しいフォームにファッショナブルな服装。これが女性の職業なのか…感じ入ったのである。
私共、普通のおじさんとはやはり頭脳の回路や考え方がどこか違うのである。ある日、女医さんとご一緒に手術に入った。我々は術中、緊張のほぐれる時がある。その時、グループ間の会話をする…が、看護師さんと女医さんの会話は医療や技術的なものではなかった。夕食の献立を語り合っているのである。主婦と2足の草鞋をはく彼女達。どのような逆境の時間帯でも頭の片隅に家族を慮って働いている職業なのだと分かった。
一緒に手術していた私。つまり、一人の外科医は目の前の事のみに頭を悩ませ、家庭を振り返る余裕もなく汗をかいているだけの頭の悪い奴だった。
確かにカミさんの料理は天下一品である。そんじょそこらのレストラン料理に負けず劣らずの内容である。他のご家庭のお料理と比較したことはないが…とにかくわが家の料理はおいしい!
ただし、ただひとつの欠点があり、この事実をカミさんには言いがたく…困っているのです。結婚生活40年以上ではあるが、彼女の料理に注文をつけるのは容易ではありません。長い間我慢していた心のうずき? いつ告げたら良いのか?日々迷っていた少しの不満? ではあります。
425136377271こんなおいしい世界一の料理、私だけに作ってくださるありがたいお料理、言うと気まずい夫婦仲になるのでは? など考えると勇気が湧かない40年間でもありました。でも、いつかは訴えてみたい…言わなければ分かってもらえない事実、心の中のうずきが始まった。
ある日の夕食時、そばには二人の娘も座っていた。時は良しである。絶好のチャンスだ! 夫婦仲が気まずくなっても、離婚話に発展したとしても、娘二人が取り成してくれるかもしれないと考え、ついに決心した。「おかずをもっと、ごはんをたくさん、お肉やおみそ汁ももっと増やしてほしいのです」「僕は男だから女性方と違って料理には量が欲しいのです」そばで聞いていた娘たち二人、「アラアラ、私のおかずお裾分けしますネ」など気にしてくれた。うちのカミさん、慌ててギョーザを焼き増してくれた。おかげで離婚話にもならず一件落着!
昨夜は久しぶりに満腹で幸福だった。クリニックでも注射や薬の量に加減はある。分量が分かりにくい時は少なめから始め、経過をみて量を増減させる。これらは症状を診て判断し、最終的には患者さんの自己申告や病の軽快状態が源になり、医師が決めていく。私はおいしいカミさん料理を食べ続けた過去、実は正直に自己申告をしなかった結果であろうと考えたが、翌日の夕食は盛りだくさんの料理が出た。うちのカミさん良い判断であると感心した。
旅行客の要望にホテルマンや旅行業者は決して「できません」とは言わず「何とかやってみましょう」とお答えします。すごい職業だなあと感じ入ります。お客さまにすれば半分は断られるかもしれないと思いつつのお願い事です。最終的には希望条件が合わない事もあるだろうけれど、お客さまは努力されたことに感謝する部分はあります。
基本的にはどんな職業にも同様のことは多少はあるのかもしれませんが…。医療の場合はどうでしょうか? 乳がんの方に治せませんとは決して言えません。現実的には治せる治療法を検索したり、専門医を探し紹介していきます。病は「治せる」と断言できるものが少ないのも事実ですが、医者には治せる最大限の努力が要求されていきます。
美容外科の場合はどうでしょうか?「この鼻もっと高くできますか?」と言われたら「イエス」と答えます…が「3㍉ほど高く!」と要求されますと「できるだけやってみましょう」とお答えするでしょう。鼻の高さに計測法の基準がないからでもあります。同様に、「美しくしてください」という微妙な要求にもイエスと言いにくくなります。美しさにはある種の個性が必要だからかもしれません。
一方、術前・術後の写真を比較すると明らかに美しく変化しているのに、「変化が無い」と術後訴えられる方もおられます。理由は顔全体のイメージが変わっておらず周りからは変化なしを指摘されるからです。部分的変化は他人には分かりにくいものですが、実はご本人はすでに気付いておられることが多いのです。気付いているが他人からの評価を得たい! という内に秘めた気持ちがあるのでしょう?
しかし、実際は案に相違し友人からの評価は辛い。そのため、きれいな変化があるのにご本人が落ち込む悪循環を生む時があるのです。夕方「おいしい夕食ができています!」と遠くでカミさんの声がします。要望せずとも常に温かい食事を作ってくれる彼女、おいしさの結果はともかく、私の答えはいつも感謝の「イエス」です。
先日、ほーむぷらざ様にお招きいただきました。タイムスビルへの移転を兼ねてのお気持ちとお受けし、喜んでお誘いに乗りました。パーティーは質素でしたが、主催者のお気持ちが十分に表現されているおもてなしでした。心のこもった軽食に司会進行の流れがスマート、いろいろな職種の方々がお集まりでした。
例えば、野菜ソムリエや工芸作家、それを取材して深みある記事を書く方や絵を描き写真を撮る方など、小さな味のある紙面作りに協力している方々の集まりでした。医療しか分からない私にとっては、おひとりびとりが輝いて見えたのは確かです。私とて異業職の方と酒を酌み交わす機会は多いのですが、当日の方々は趣が違うように感じました。
山椒は小粒だが、正しく才色兼備にあらず、「彩職賢美」なのです。ほーむぷらざさんがどのような意味合いで名付けたかは不明ですが、才色変じた「彩職賢美」、言い得て妙! 職を楽しみ、賢くステキに生き、笑顔の絶えないポジティブ思考の職業人。少し欲張って表現するとそのような仲間の集まりで、参加させていただき感謝の気持ち大でした。
約30年、「ないしょ話」を続けました。最初はタドタドしく始まった拙い話、月2回書き続けると何とは無しに形らしく書きこめるようになったのもみなさまがたのおかげです。時々にお客さまからいただく「読んでいます!」の励ましは増えつつあり、がむしゃら時代から身の震えを覚える年齢にもなってきました。山椒は小粒のピリーとした味は出せないまでも、当初目標とした、医者と患者さまの垣根が低くなればと思った筆の先、今や美容医療の倫理をいかに高めていくか少しの精を出しております。
彩職…彩りに濃淡を込めた賢美な紙面は、少々の生臭い新聞、時々のチャラチャラしたテレビとは違う味わいです。ほーむぷらざの発行当初から連載している松本嘉代子先生に当日教えていただいたピリーとした味の琉球料理店を、今度は訪ねてみたいと思っております。
先日…。大好きなうちのカミさんと大げんかをしました。犬も食わない夫婦げんかではありますが…お互い後には引けないと思ったのです。
私どもの引っ越しはつどつどお伝えしておりますが、うちのカミさんが引っ越し先のクリニックに初めて顔を出したのは引っ越してから2カ月目でした。その時、けんかの源が発生しました。女性が見る新しいクリニックへの評価は厳しいものがありました。当然、彼女にも物心両面で負担をかけてはいますが、クリニック内装の評価にお互いの話が及んだ時、事は起こってしまったのです。
犬も食わないけんかではありますが、改修が出来上がってしまってからのご批判に私が反論し爆発したわけです。設計から建築、悩みに悩み…決定し出来上がった新クリニックに、身内とはいえ正直で辛らつなご助言は厳しいものがあり、お互いにやむにやまれぬ争いの源となってしまったのです。
美容外科のお客さまと医師の間にも事は起こりがちです。美に対する見解の相違とともに金額という財源の重さが加わっている点はやや私どもの大げんかと似たり寄ったりかもしれませんが、実は商取引という点では明らかな違いがあります。医療のトラブルを避けるためには術前契約時、口頭のみとせず書面記載が大切ですし、術後の修正・追加の必要性と追加課金の設定が必須の時代になっております。
戦後医療の丼勘定時代から多々配慮した商取引の契約条項設定の努力が昨今の美容医療には急がれます。私とカミさんとのけんかは犬も食いませんので、契約書なしで解決する問題ですし勝ち負けもつきません。クリニック改修前、私はカミさんに全く相談しなかったのも事実ですし、多忙な自宅の引っ越しで内装等をチェックする余裕がなかったカミさんでもあります。
それにしてもないしょにしなければならない犬も食わない夫婦げんかですが、読んでくださる皆さまがおられるとしたら、たまのけんかもまた、楽しく嬉しからずや…と思っています。
彼女は一筋の涙をハンカチで拭った。診療室で瞬間カミナリに打たれたごとくの私は、心の奥に深い十字架を背負ってしまった。気持ちを持ち直し、今度はご主人に向きを変えた。腰を深く折り曲げ私をみた彼の顔にも笑顔は無い。物静かに遠くを見つめ、やるせなさそうな彼であった。その時、私が発する言葉は選びようがなかった。「ごめんなさいネ」。ご夫妻の返事はなかった。
これから手術する方は彼らの娘(?)さんである。経験があるとはいえ、長い手術になる。麻酔専門医と3代目の息子が介助にたつと力添えを約束したが、私自身も数週間前からアレコレ手術の手順、必要なリスクの回避につき思考した部分は多い。娘さんは数年前から性別適合手術の一部、乳房除去を希望されていたのである。
当院でも術前、数回話し合い、その後も専門の精神科医を親子で訪れ、最終的に決心した手術である。当院60周年記念事業の時、トランスジェンダーの皆様にお話を伺った。実際に要望に応えている形成外科、精神科の先生にもシンポジウムに加わっていただいた経緯もある。外国での手術を終え沖縄に帰ってくる方々を診ると、決して結果が良い方ばかりではなく、術後のフォローに悩む現場も多々あった。
ゴルフの友人にもトランスジェンダーの方はおられるので最近では珍しい事ではなく、日常的に日の光を浴びる現実が出てきたのかとふと振り返って思ったり、先日は男性の胸を大きくしたところでもある。
しかし、今回は大きな豊かな乳腺の除去である。意味合いが少し違い、実際にも見かけはまだお若いお嬢さんなのである。お母様の一筋の涙が何を意味するのか? 外科医に推し量るすべはないが、ここまで決心するのにはさぞや長い長い年月を要したのではないかとは容易に理解できた。
丸山(美輪)明宏さんが「世明けの歌」を歌った時代から、性的に女性から様変わりが希望できる現代になっているが…。深く息を吸い家に帰ると、男勝りではあるがいつも優しいうちのカミさんが待っていた。
昨今美容医療の領域では、皮膚科学の専門性が重要視され、ちまたでは大流行が続きます。美という永遠のテーマ、いつの時代でも、女性の心をつかんで離さないのでしょう。その目的で成り立つ美容皮膚科は、美容外科とはやや立場が違います。メスを使用し皮膚を切る作業とは異なる治療法が美容皮膚科領域には存在するからです。
イメージ的にはエステに近いが、理論的で、科学的な領域と捉えられているところに多くの女性が魅力を感じ、美的効果に期待しているのでしょうか?当然、医療行為ですから、医療なりの功罪という特性も持っております。しかし、今や若い女性でコラーゲン、ヒアルロン酸、エラスチンなどの名前を知らない方はおられないでしょうし、これらの成分が皮膚のどの層に存在、どのような役目を果たしているかなども理解している方は多いと思います。
実はこの皮膚層に及ぼされているさまざまな悩みへの診断・治療のもろもろが美容皮膚科医の専売特許であり、エステより効率よく治療でき、美容外科より安心を生み出す源になっているのです。
例えば、女性の大敵であるシミ・小ジワは皮膚の真皮層というわずか1~3㍉の厚さの中で生じ、治療のターゲットになっているのです。まさしく、美肌の優劣、良否はこの真皮層をいかに若く保ち続けることができるか、予防と治療のポイントが集約されている部分です。
「みずみずしさ」や「スムーズな肌触り」といった細かいこだわりを持った治療、女性だけが感じることのできる感性がこの部分にひそみ、美容医療の需要を生み出しているのです。この美しい肌を作り出す秘伝の職場、つまり私共のクリニックの一部にある美容皮膚科部門はエステティシャンや看護師さんでにぎわっている空間でもあり、「美容外科」部門には立ち寄らないうちのカミさんでさえ、コッソリ「美容医療」部には顔を出しています。やはり手術なしで美しくする美容医療、大流行なのでしょうネ。
昔は!などと書き出すと少々気がとがめるところもあります。古い人間が何を言いだすのだ! お叱りを賜りそうです…がしかし、国の医療費が約40兆円と国家予算の半分を占める今、どこかで医療人自身が医療経済の在り方、見直しを提言しなければならない時期にきているように思います。
健康に費やす投資額と効果について幾多の論文があることは知っております。ただし、それらは医療人が自らを律し身近なところから具体的に医療費削減をこうするべきだと述べた提言とはかけ離れているようにも思えます。
予防医療や食生活改善は当然大切なことですが、大きな病院になればなるほど、身の回りに少しのぜいたくを見る時があります。昔は…です。血液の付いたガーゼを何回も洗い乾燥させ、消毒し使っていました。明日の手術のため、夕方遅くメスの刃を研いでいたものです。今や全てが使い捨て、いわゆるディスポーザブルになっています。手近なところで言えば、私のクリニックの脂肪吸引装置、優秀ですがチューブは使い捨てで5万円です。購入メーカー側からディスポーザブルを要求されるとチューブの消毒再生はできないのです。
少し古い手術器具が故障すると「米国メーカー製は故障部品の交換がありません。新品をご購入ください」となります。このような事例は大きな施設になればなるほど転がっておりますが、管理部門では分かりにくく、使いこなしている医療人こそが提言していくことでしょう。
半面、機械メーカーさんや薬業者さんは腰を低くして販売網を広げています。新しいものを買わないと遅れてしまう、そのような医師の気持ちにスーッと入ってくる勧誘話。まだ使える古い機械のリサイクル医療ショップがあればと思っていた矢先、今年中にそのようなシステムができるらしいと風の噂で聞いてうれしくなりましたが…ついつい昔は! と思う自分に、医師自身が古い殻から抜け出しリサイクルをしなければいけない、とも思ってしまったのであります。
クリニックの引っ越し、3代目が決断した。建物はすでに50年は経過している。所々雨漏りもする。どこから漏れてくるのか分からず応急処置も思わしくない。いつかは(?)建て直しや移転など考える時期が来るであろうことはボンヤリ考えていた。
でもである。長年の銀行さんからの借金はすべて返し終え、心の負担から解き放たれホッとしていた最近である。今更の借財は勘弁願いたい…正直思っていた。過去20年近く、少しずつ借金が少なくなっていく楽しみ、預貯金をのぞく都度「ふうと」ため息をつき過ごして来た人生でもある。そのおかげで現在の3階建ての建物がある。引っ越しとはそこを立ち退くことを意味している。決心するために、もう一度おなかに力を入れ、大きく深呼吸をした。
さて! 引っ越しはやむを得ない…が、引っ越し先の選定や銀行さんとの再交渉も必要になる。この年で多額をお借りできるのか? 担保はどうする、課題は山積みである。単純には前へ進めず、アレコレ考える。市場調査やお客さま動向を含めた将来予測は絶対必要だ。職員にも協力をお願いする、必要不可欠な事は山ほどある。そして、移転作業を進めている今、われわれは多くの方々のお力添えを要し、ご協力をいただいている。恐らくこのご恩返しは数年後になるであろうが、それまではわれわれクリニックの底力、団結力・総合力を改めて問い直し、気合を入れ直すのみだ!
実は私にとって引っ越しは、仕事場とすみかを含めてのことで大仕事になる。そのため、まずはいらないものを捨て去る作業から始まった。クリニックでは日々の仕事の合間、不要物を思い切って処分していくが…積み上げた50年のより分け作業は容易ではない。一方、わが家の引っ越しはクリニックの場合とどこか違った。作業の中心はカミさんである。「いらないものの整理は?」と聞いてみた。彼女からはっきり返事が返ってきた。「必要な物のみ取り置き、残りは捨てます」。何となくであるが、仕事場と家庭では「断捨離」の仕方が違うのである。
三代続けば永代続くとはいえ、その間の波・風は強い。特に医療は専門職ゆえ技術習得と経営継承の両方があり、事業継承は殊の外難しいのである。さらに医業経営者は医者でなければならないと法律ではなっており、蛙の子は蛙であるがごとくクリニックは医者から医者への引き継ぎとなる。政治家は地盤、看板が大切と言われるが、後継ぎに法的決まりがあるわけではない。すなわち、医療だけは法律上、医者以外が経営を引き継ぐわけにはいかないのがミソなのである。
そのため、開業医の子供は同じ専門医である必要があり、永代とは30〜40年ごとの後継ぎを育てることになる。われわれは幸いに3代目は目安がついた。その点、私は野球で言えば中継ぎ役を終えつつあるが、続く3代目も実はクローザーではない。つまり、中継ぎを上手に続けねばならないのが開業医である。厳しい時代、徳川家は300年よく続いたものだと感嘆できるが、医業はその特殊性ゆえ世襲の難しさがある。
特に県内の開業医は戦後の混乱期、身をていし地域医療の一翼を担ってきたが、ここにきて創業医たちが次世代継承で苦労している姿が見えてくる最近である。一方、医業継承者も先人のまねばかりではすぐに激しい過当競争に後れを取る。若人は過去より未来の夢を輝かせることが大切で、その意味、若い医者は新しい技術に息吹を与える知恵と努力が必要になる。
先日、60年ぶりの患者さんがお見えになった。形成外科創業医の父が顔に植皮を施した女性である。しげしげ診た60年目の植皮は言われて初めて分かるほどの立派な出来栄えであった。また、過日には終戦直後に隆鼻された別のお年寄りを診た。その方は父が入れた隆鼻材を除去させていただいたが、材料は象牙材であった。
昔はこのような物を使ったのだなぁと思わず感じ入り…父が手作りしたはずの珍しい象牙の隆鼻材、しばらく手に取り懐かしく若かりし頃の父の足跡を思い出した。時代の流れだけは永代続くものだ! 直近の臨床での出来事である。
医師は常に冷静であらねばならない。しかし、分かってはいても時にいらつく時がある。沖縄のことわざ「てぃーぬいじらー」。意地っ張りをいさめ、いかなる時でも心を落ち着けるべきだ! とは、先人の教えでしょう。
がしかし、やはり私は時にいらつきます。緊急時、患者さんの全身状態の把握、基本的処置が終わってもすぐに次の手が思い浮かばず、個々の事例に良いアイデアが出ない時です。緊急時の処置やトラブル対応は時間勝負、限られた中で対応します。
術中は神に祈っている時間さえないのです。「焦るな!」。心の中で叫んでも手が先へ進まない時もあります。介助の看護師さんも必死に手助けをしてくれますが、それさえも時にいら立ちを増強させることがあるのです。
必要なのは考える時間的余裕です。出血があるのならまず、出血点を見つけ押さえることでしょう。そうすると10分程度、時間の余裕が生まれます。引き続き心にも余裕ができ、いら立ちを抑えるのにつながります。数十分の時間は一息入れるのに十分な時間でもあります。
やむを得ぬ時は応援を呼ぶこともできるでしょう。落ち着くと過去の経験を思い出し、次の手順をゆっくり考え、介助者に指示ができます。
これらの決断はすべてリーダーである執刀医の責任です。緊急手術終了後にも再確認の時間が必要です。その時、再出血の危険が少しでも疑われるときは、閉じた傷口を再度開き確認することも一つの決断です。
意地を通さず、手さばきをちゅうちょしてはいけません。予定時間がいくら遅れようが…麻酔医や立ち合いの看護師さんに迷惑をかけたこと、心でわびながらです。いらだった自分の未熟さを恥じ、再度、傷口を縫い終えた後、神に感謝する時間が生まれます。
これらは医学の教科書にも載っていない自分史の苦い経験です。学術書からは学べない臨床ですが、その事を後輩医師に伝える術を知らず、育ってきた長い年月が私にはあります。前記した、ことわざのなんたるか(?)を深く学び、40数年の歳月に気付く昨今です。
人間が生きていく上で衣食住は欠かせません。 いわば生きるための最低条件ですが、衣食住の内容をみると現代社会で生活する人々の性格がにじみ出ているのが分かります。いわゆる人間の匂いが出るのです。
広い家に住みたい方もいれば、狭くても快適で良しとする方もおられます。また、服装に無頓着な若者がいる一方で着飾る女性がいたり、質素なお姿で過ごされる方も見かけます。このように見ていくと、何となくその方々の生活の潤いがにじみ出ている感がするのは私だけでしょうか?
わが家を振り返ってみますと、ギリギリで手ごろな大きさ、間取りです。家族がこぢんまり生活できる空間であり、ふさぎこむ時、独りになりたい個室もあります。が、なぜか私だけは常にうちのカミさんと同室なのです。
わがすみかは仕事場も近く、すぐ往復できる便利さですが、時々の雨漏りはいただけません。便利ではありますが、快適とまではいかない生活空間でしょう。
当家で生活臭が明らかな場所が一つあります。冷蔵庫の中です。野菜やお肉が入っているのはどこの家庭もご一緒ですが、ビールもたくさん入っています。
でもこのビール、私はあまり飲みません。女性の方々が毎夜1本ずつ飲んでいるのです。もはやお酒は男だけの飲み物ではありませんが…わが家の冷蔵庫は整理整頓がきちんとしているところが本当の特徴で、当家の女あるじの性格が表れているのです。物入れは少しの乱れもなく、狭い空間に無駄なく食物が入っているのです。
衣食住は生活の基本ですが、時に危険にさらされることがあります。地震など自然の猛威です。もう一つ、日頃からの脅威は家族の病気です。自然への対策は社会全体で考えることですが、健康への対策は個人の努力、家族の支えが必要になります。家族の衣食住、守る基本はきちんとした生活習慣にありますが…心配りをするわが家の大黒柱であるうちのカミさん、本当にかぐわしい匂いが漂っているのです。
惚気る。
私にとっては難しい漢字のひとつである。しかし、時々に使用せざるをえない時、のろけると読みノロけると書く。この漢字、外来語でもないのにカタカナ文字になる。日本語の使い勝手の良さではあるが、半面、「惚れる」という字に気恥ずかしさが伴うのは日本男子の欠点であろうとも思った。
当院には背中に汚れがたまり、化膿して来院される男性は多い。背中が洗いにくく、かつシャワー生活の多い沖縄県の特徴かもしれないと思っているが!
本日は風呂場でのノロ気話をひとつ。ある日の帰宅後、夕食前にひと風呂浴びていると突然、うちのカミさんがノックもなく風呂場に入ってきた。
沖縄では前記したごとくシャワーの習慣が長く残っているが、寒い冬の季節は湯船につかる。体が温まるからである。しかしである。いくら長年連れ添った夫婦とはいえ、裸の男風呂にいきなり入ってきた中年の美女、私はさすがに湯船から出るわけにはいかなかった。「どうしたんだい?」一応は問いかけてみた。
新婚時代にもなかったことである…が、怪しげな(?)雰囲気があるわけでもない。彼女は腕まくりをしながら私に近づく。「肘を出してごらんなさい」。カミさんの要求にその時「おや?」と思った。確かに誰しもが両肘部分は気付きにくい所。その肘が「汚れている」と発し、さらに肘から背中を軽い刺激のスクラブせっけんで洗ってくれたのである! 娘が最近買ってきた、流行のせっけんを試しただけのことであった…が、気付きにくく落としにくい場所の汚れをゴシゴシせっけんで流してくれたカミさんに感謝がわく。
実は病院でもスクラブははやっている。医療人のユニホーム、手術用の掛け布、洗いやすいスクラブ布地になって久しいが、このような洗い流しは汚れを落とし、おでき予防や術後の傷にも良いのが昨今の治療のこつでもある。
さて! 真冬の夜の夢、気恥ずかしさのノロ気とトロケ気分は終わったが、貴方もお試しになってはいかがですか? きっと心と体が温まりますよ。
毎日の昼食と夕食はうちのカミさんがお作りになったものをいただく。
当家の食卓はカウンターである。目の前で食事作りにいそしむカミさんの姿をみながら早く出来上がってこないのか? どんな味なのか? 考え…おなかのすいた外科医がカウンターに座っている図式である。食する時間は毎日決まっているので、恐らくうちのカミさんはそれまでに手頃な料理を見繕って準備しているのであろう。
定時にいつものカウンターに座ると温かい食事がすぐに出てくる。何を食べようか? メニューで迷う必要もなく、日々のカロリー計算は料理をするカミさんが常に考えているはずだから気楽なものである。その点、敬意を表し丁寧語を冒頭に使用した。幾ら便利な世の中になったとは言え、尊敬の念を抱くのは当たり前のことには違いない。
冬には冬の、暑い夏には栄養たっぷりボリューム満点の品が出る。料理の味そのものはもちろん、味わい深きカミさんがいるおかげで仕事中、外科医の腕はさえわたり、メスさばきも良くなるわけである。
外科系クリニックではことの外大切。患者さんの手術への恐怖をどう取り除くのか?…術前の味深き伝え方と術後のフォローという長期信頼をいかに築きあげていくのか! 味深き絆は大切である。
カミさんの味付けは料理だけではない。彼女の教育に慣れ親しんだ子どもたちは大きく育ち、それぞれに人生の味をもっている。味のある彼らの性格は人生の輪でどのように生かされているのか分かりにくいが、カミさんの味で育った子どもたちがおかしな味付けに染まるはずはないとの自負ももっている。
本日はお正月だ!! 特別料理でタイの尾頭付きやおせち料理が並ぶ豪華な食卓、特別ゆえ本日はカウンター料理ではない。おとそを飲んで少々酔い頃の時、最後にいつものカミさんのみそ汁の味が欲しくなる。
味わい深い食卓は家族全員がそろうにぎやかな食卓ゆえ、さらに深味が増す。今年もそのようなお正月気分を味わい、一年の楽しい出発点にしたい謹賀新年であった。