沖縄県那覇市の当山美容形成外科。

当山美容形成外科

〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地2丁目11−18当山久茂地川医邸4・5階TEL:098-867-2093 FAX:098-869-1832月曜〜土曜/9:00〜18:00 日祝祭日/休診
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美容外科医のないしょ話

捨てる神あれば…

 今時、珍しく?…食後の片付けをしない私である。云いかえれば、古い沖縄型男性タイプか?とも思っている。確かに食べるだけの男ではあるが、それでもリンゴの皮むき位はする。その後、剥かれた皮は流し台、汚れたティッシュは燃えるゴミへと分けている。

 先日のゴルフ場、バナナの皮捨てに困った。燃えないくずか?で迷い、結局燃えるゴミへ収めておいた。病院ではこのようなこと毎度のことである。針やメス、注射器は特殊な箱へ…ガーゼは燃える医療廃棄物に分類し捨てる。過日、手術で摘出した組織を医療廃棄物に入れようとしたら看護師さんに叱られた。「臭いがあるものはビニールで密封して下さい。異臭を放ちます。」…云う訳である。我がクリニックもきちんとゴミを区分けし、細事をリードする素晴らしい女性がいたのである。

 沖縄の男性たる私、少しは成長し、彼女達の爪の垢でも煎じねばならないと感じたが…!然し?である。血液のついた鼻紙は医療ゴミ、ついていないペーパーは普通ゴミ!!捨てるありかを探すクセがつき、最近手術、治療後に落ち着く時間的余裕がない。ある日、以下の注意書が医師会から届いた。医師は医療廃棄物を分別・区分、さらに最終処理場まで見届ける義務がある…。つまり、行政通達はゴミ分けのみならず、病医院に重たい社会的義務条件を課し医療人は燃やす所迄最終責任が負わされているのである。

 それ故、捨てたゴミが気になり処理業者さんが来られる日、どのように廃棄されているか!確認しているが…、然し、その前に私自身細かく分別し、お渡ししないと意味がなく日頃の無情を面映く反省した。先日も何気なく入れた紙クズをふと思い起し、拾い直したが…それにしても、毎日・毎回の食べクズ捨てるゴミを区分するうちのカミさんや、看護師さんには感心する。食事の後片付けさえ出来ない男が最近、仕事柄少しずつ成長を遂げつつある。即ち「捨てる紙あれば、拾うカミさん」ありなのである。

おしゃべりな女の子

 おしゃべりな女の子!!小学校入学前…5~6才のお子様であろうか?唇に怪我、付き添いのお母様は血の気が失せた表情で心配そう。「大丈夫でしょうか?女の子の顔なので…」確かに顔の怪我である。

 云われなくてもお母様の心配していることはよ~く理解しているつもりではあります。我々にとって毎日の事ではあるが、お母様にとって初めての事かも知れない。自分の責任とお考えかも知れないし自分の顔に怪我を受けたと同じような思いの母親の気持ちも長年このような職業を続けていると良く分かる。

 でも…おしゃべりな女の子はあっけらかんと、たわいのない事をしゃべっている。思わず私は「良くおしゃべりしますネ」深刻でご心配なお母様に話しかける。怪我の程度や治療法、将来の予測など聞きたいこと山ほどのお母様にすぐ本題に入るより多少の間を持たせたい為でもある。

 然し、女の子は勝手に会話の輪に入りたがる。「そうなの、わたしネ、おしゃべり○○で有名なのよ」今度は私の方が心の中でくすっと笑って肩の荷がおりた。

 小学校に入った女の子はこのようにいかない。初めから病院に来るのに躊躇がある。医者の顔さえ見ようとしないのである。すでに賢さと云う知識が埋め込まれているのかも知れない。

 このような女の子に、看護師さんが今度は繰り返しおしゃべりをする。時には1時間以上に及ぶが、その間、私は手術場で待ちぼうけとなる。おしゃべりな女の子も傷を縫合するとなると、途端に異常な雰囲気に気がつき、泣きじゃくる。その時、必死に話しかけ、なだめすかし、あやしたりするのは看護師さん達である。私はただ、手早く手術を終えてしまう役割でしかない。

 抜糸日の術後、あれほどおしゃべりであった女の子も、もはや私をみて可愛い笑顔やおしゃべりをしては下さらない。その時、そばに付き添うお母様のほっとした表情の崩れが私の心の支えになる。まぁ~、これが男の仕事かと思った、あの日のいつもの出来事であった。

静かに、そっと…

 非常に苦労した手術!!…過去に幾つか心に残っています。私だけではなく、外科医は時々に術前には予想されなかった術中経験即ち「リスクの一歩手前」の経験があるはずです。

 でも!この事は術後に患者さんに詳しく伝えにくいものです。専門的に分析するとリスク原因は色々あり、術後の不安を増強させる訳にもいかないからです。難治な治療、心の中で溜め息をついた経験、ヒアリーハットも雑多な意味合いが含まれているのです。出血が止まりにくかった時ヒアリして、思わぬ所に予想外の神経が走っているとハッとします。術中の難関突破には時間はかかりますが、結果的には何事もなかったかの如く終了する訳です。この事は術後に愚痴っぽく口走るのではなく、きちんと同僚に伝え、危険を共有します。

 どのような外科医にも辛かった、精神的に疲れた気分があるのがヒアリーハット事例ですが…でも、これが外科医の毎日です。「疲れた、骨がおれた」口が裂けても云えません。この仕事を選んだのは自分自身であり、辛ければ辞めれば良いだけ、どのような職業だって、辛くて大変な作業部分はあるでしょう。帰宅後も…俺は頑張れた!云いたい気持を抑えます。うちのカミさんだって彼女なりに毎日を頑張っているに違いないからです。彼女から言葉はなくても、何気なく感謝の気持ちが伝わる時があります。食卓にあったかい夕ご飯が用意され、疲れを休めるふわふわ布団に入る時、「やったネ!にやり」気分になりますが、やったネの気持はあの辛かった苦難を乗り切った「ほっと」のご褒美。「にやり、ほっと」する瞬間でしょう。

 物云わずとも、うちのカミさんは長年の勘で分かっていたのですネ。当然の事、振り返ってみますと、うちのカミさんにもきっと辛い家庭内の出来事があったのだろう…思った時、隣の花屋で小さな花束を買ってみました。少しは温かい気持のお礼にと思ったのですが口に出せず「静かにそっと」心に残るよう差し出しました。

成績表

 先日のある日の事、うちのカミさんが難しい顔で覗き込んでいる1枚の紙…。真剣で全項目にチェックを入れている姿をみて、つい興味をもってしまった。

 覗き込んでみると、過日行った私の定期健康診断の結果表である。肥満度などをみていると思ったが…あにはからんやである。肝・腎機能、血糖値、ひとつひとつの項目にチェックが入っている。

 覗き込んだ成績表が自分自身のものであるから今更、その場から離れる訳にはいかなくなってしまった。まるで小学生が学期末の学業成績を母親にチェックされているようなものである。

 そこには、ぐうたら亭主の生活態度と云う明らかな成績が点数で示されていたのである。学生の成績は5段階方式だが、私の成績表は実に細かい点数配分となっており誰がつけた成績なのかは分からないが、痛い思いをして採血された結果が残されている。私は云い訳をしなければならなかった「昨年より悪くはなっていないでしょう」「肝機能は、検査前日、模合仲間とお酒を飲んだからですよ」…等々である。

 驚いた事にやおら立ち上った彼女はいつも大切な物をしまっている引き出しを開け、何か探している。やばいことと私はすぐに気がついた。彼女が取り出した古い5枚の紙、5年前からの健康診断結果である。おもむろに彼女は私に以下の如く伝えてきた。「昨年の結果より良くなっていません。毎年の検査前、お酒を控えるのは医者であれば分かって当り前の事です。」云われることは分かっていたが、まともに云われてみても反論の余地はない。まるで、本当に小学生に返ってしまった心境であるが…この年になって迄、何故に成績でビクビクしなければならないのか、定期健診がうとましくなってきた。

 ある日の事。うちのカミさんが熱心に一枚の紙をチェックしている。私の検査成績ではないようである。近づいてみると、食料品の保存状況や食事メニューの幾つかであった。うちのカミさんほど成績優秀な女性はいないと感心した。

クリニックのドン?

 私は医者、小さなクリニックの経営者でもあるが…労働者でもある。私自身が広告塔になったり、宣伝マンになる時もある。時には勉強会や職員との飲み会を計画、ホームページもチェックする。

 このように多くの慣れない仕事もするので、時にはつまらないミスも起す。然し、小さなミスは企業の最高責任者の立場に立った時、他の職員への示しがつきにくくなる事もしばしばだ。小さなクリニックでもそれぞれに専門職が必要となる。私に院内の汚れた衣服を洗濯させたとしたら、まともな洗い方、干し方は出来ないのであろう。私が受付窓口を担当しても、来院される患者さんに常に笑顔でご挨拶出来るかと疑問でひょっとすると若い女性は逃げてしまうかも知れない。私にはあの看護師さんの優しい物腰など真似が出来ないし医者は偉そうにして、尊大だ!!…と云う声があるのも私は知っている。

 見方を変えれば、偉そうにしていなければ経営者の威厳が保てず、他の専門職に負けそうになるのかも知れないのである。自信のない空威張りこそが偉そうにみえている源なのかも知れませんと思ったりもしている。

 実はこの原稿作りでさえ、練り上げ作業を幾度となく我が秘書にやってもらっている。その為、いつも締切りギリギリにやっと間に合う。多大な労力と小さいながらの専門職の意見や仕事、人の和で成り立っているのが我がクリニックであるが、案外支えてくれているのは患者さん達なのではと思うこと都度都々である。

 我々は物を作って売る仕事や何かを見せる仕事でもなく、人様の身体にメスを入れる仕事、考えれば…或いは考えなくても恐ろしい手作業をしているのだな~と分かるが…然し、日々の事だと人様の支えを忘れがちになったり、感謝の気持ちが薄れてしまう事がある。これがつまらないミスの原因では?等々、思考するが…その時、ふと振り返り、自宅でドンとかまえているうちのカミさんを想い浮かべ流れ作業的日常習慣を見直したりするのである。

古いネクタイ

 「院長!今日はかっこいい…」朝一番、ベテランの国吉さんが私に声掛けして下さった。毎日仕事場で顔を合せている彼女です。「どうして?」何故かっこいい本日の自分かを聞いてみることにしました。

 髪はボサボサ、毎日が徹夜みたいで寝不足の連続です。かっこいい訳はありません。「ネクタイがステキなのですよ。」彼女はその理由を正直に答えてくれたが、ネクタイを褒められるとは思いませんでした。

 思い起す迄もない事ですが…医師に成りたての頃、主任教授に教わった第一が服装をきちんとすることだったのです。その時、付け加えられたのがネクタイ着用です。昔々、ベン・ケーシースタイルと云う白衣があります。襟首がついた半袖の白衣です。

 当時、かっこいいスタイルがアメリカから入ってきましたが、この白衣にはネクタイが不要でした。私の主任教授はドイツ派であり、日本的でした。ベン・ケイシーより野口英世や北里柴三郎タイプなのです。日本の患者さんには日本的白衣とネクタイで対応するよう強調されました。

 若い時に覚えた…覚えさせられた習慣は中々捨て去る事が出来ないものです。その頃からいつの間にか、私の洋服タンスには沢山のネクタイがあり数十年と云う長い歴史が過ぎていたのです。日本では現在、夏にクールビズが流行し、沖縄ではかりゆしウェアーが定着していますがさすがに白衣型かりゆしはありませんし、改良されたクールビズ白衣も存在しません。

 夏にスクラブ手術着を着けることはあっても、冬になると寒さが堪え古典的白衣となるのが我々なのです。そこで、渋いのでは?…と思いつつ取り出してみた本日の懐古型ネクタイ!着用してみたその日の朝、「かっこいいですネ」まさかの一声でした。

 なるほど、古さも又、味わいがあるものか?遠い昔の恩師を想い浮かべ、心の中でニタ~っと笑った一瞬でしたが…褒めて下さった国吉さん、彼女こそ懐古調の古典派タイプであるのを危く見逃す所だったのです。

自信たっぷり

 身体は華奢だが、うちのカミさん常に自信たっぷりである。家族の病気も医者の意見より自分の勘を大切にする時さえある。時には私の治療を古い治療と決めつけてくるので用心だ!!

 ある日、何気なくの夫婦の会話、テレビの女優さんを見て、あそこを美容整形しているわ!と私に告げる。そのカミさんの発言はいつも自信たっぷりである。「頬の所にヒアルロン酸を打っているのよ、以前はあんなにふっくらしていなかったわ。」「え~そうなの?」私は軽くうなずくだけにした。

 その女優さんの以前と現在を比較した事がないからである。カミさんの自信たっぷりな発言は続く。「あなたもあの位の技術は習得して下さいネ。」まるで私が近代医療に後れをとった未熟な美容外科医である…と云わんばかりの発言である。

 あの位の事なら日常やっているし、最初に学会発表をしたのは私ですよ!反論したかったが、やめにした。信じてもらえるはずもなく、かつ自信たっぷりな彼女の前では押し黙る方が利口である位は長年の結婚生活で身についている処世術でもある。

 美容外科の外来では逆の事もある。誠に自信なさそうな女性である。手術しきれいになっているのに、私や看護師さんに改めて聞いてくる。「きれいになっているかしら?」彼女の自信なげな言葉は、こちらの気持ちが萎えてくるほどになる。このような方には術前写真との比較が一番分かりやすい、が…然しである。納得の術前は汚い顔なので見たくない!!と云われてしまう。

 この理屈からすると、ある程度美しくなっていることは理解はされているようでもあるが…このような発言は得てして、自分に自信のもてない女性の特徴でもある。当然のことながら、容貌に自信ある女性は美容治療に振り向きもしない…が、その代表がうちのカミさんと称しても良い。

 然し、うちのカミさん!美貌に自信はあるが、ひょっとすると最大の理由は亭主の腕に自信がもてないのかも知れず、自信が萎えている家庭内の私である。

カミさんの優しい寝顔

 顔の表情をつかさどる筋肉は少なくとも25以上あります。正確な数字を示せないのには理由があります。前記の数は細かな筋肉分類を除いての数字を示しているのです。

 当然、両側対が普通ですが、人によっては欠如している筋肉もあり正確な数字を出しにくいのです。又、頚部、頭部とつながっている大きな筋肉もあり、どこからどこ迄が顔の筋肉なのか区別しがたいものもあり、重なり合っているものもあるのです。

 この筋肉には起始部と付着部の2点が必ずあります。大方は骨、正確には骨の膜(骨膜)や皮下についております。このように筋肉は橋桁状に長く広がっており一方の接点が切れてしまいますと運動能力を欠くことになり萎縮していきます。反対に使っていくと強化するのが筋肉ですので恐らくおしゃべりな女性は口周りの筋肉が強くなっていると予想されるほどです。

 然し一方で、筋肉の動きは表皮に小皺を発生させます。眉間の縦じわやカラスの足跡に代表されるものがそうです。この動きを止めるのに使われているのが、昨今有名なボトックス注射です。この注射は筋肉の動きを止め、小皺の発生を防ぐ役割がありますが顔面痙攣などにも使用され美容医療のみに限らないので重宝する注射であることに違いありません。

 他方に於いて、顔面の筋肉はお互いが綱引きみたいに引っ張り合いしている所があるのです。つまり、口周りの筋肉に対しボトックスを打って筋力を弱めると逆に頬部の筋肉が力を増し、口角を挙げてしまうのです。

 その為、ボトックス効果の難しさは左右均等に使用する量と目的の筋肉にきちんと注射されているのか?…の技術的ポイントが横たわるのです。私は時々にうちのカミさんが日常、額に青筋を立て、眉間に深いしわを寄せる時こっそり寝ている間にボトックスを打ってみようかなど、やましい心が動きますが寝ている時のうちのカミさんの顔はまるで仏様みたいに優しい寝顔なのです。この変化に驚いているのが日々の私なのです。

若気ゆえの過ちか?

 「若気のいたりです。」率直に誤り、治療をお願いする中年の男性!若い時のいたずらで…長い間、後悔をしながらも今まで治療に踏み切れなかった理由は何であったのか?ふと考えた。若い時、自分の身体の一部に異物を注射しているが、さぞ痛かったであろう…、誰しもが何の為?と、いぶかしげる部分である。

 若い時の彼は物事を単純に考えていたのかも知れないと私は考えた。若さゆえだったのか?知的配慮が足りなかったのかは、もはや推し量るすべを知らないが…後悔しながらも長期放置していた理由も又、定かではなかった。

 然し、異物が化膿し赤味や痛みが広がると、やむなくクリニックを訪れている。炎症ゆえ、異物摘出の判断をし、私は彼にお聞きした。「どうして、こんな事をしたのですか?」当り前の問い掛けに、彼の返事は正しく冒頭に記した如く「若気のいたりなのです。」で終了したのである。

 若い時代のいたらなさを代弁していることは明々白々であるが…なんと、若さとはこんなに軽いものであったのか…、ふと我が身を振り返った。あの若い時代の有り余る余裕ある時間、もっと有効に過ごしていたら今頃、苦労して悟たりを得る為の再勉強などしなかったのに~など考えてみた。

 それにしてもである。刺青を入れ、街中をかっ歩する若者がいる反面、泣きながら刺青を取りたいと嘆き、若気のいたりに気付いた若者達、その治療の狭間で嘆いている自分がいる。後悔しながらも治療費支払いにうめいている彼等達、一方、購入した高いレーザー機械のローンに追われる我が身でもある。

 然しである。あの時、正しい治療と思っていた過去が、医療の進歩で振り返ってみると若気ゆえの手術であったのも認めねばならない事は沢山ある。それ故に現在の進歩した手術、さらに進歩した未来からみると未熟ゆえの手術だと評価されないか?心配だ。少しともうちのカミさんにだけは「若気ゆえの結婚だった!」など後悔させてはならぬと誓った新年である。

頭の良さ?

 頭が良い評価とは?愚かにも自分と比較したり、考えてみたりする。医者は頭が良いのであろうか?小さな知識を自慢気に振りかざしているだけではないのか?看護師さんは?屁理屈に通じているだけではないのか?欠点をあげれば誰しもに弱点はある。弁護士が頭の良い職業だと云うつもりは毛頭ないが、然し…東大生が優秀なのは大学入学時だけである…とも反面思っている。

 昨今、日本のノーベル賞受賞は東大出からはあまり出ていない。記憶力は良いが、応用力に欠けているのかも知れない。あるノーベル賞受賞者の方とお話しをする機会をもった。短時間の会話ゆえ?普通のおっさんとの印象もあった。でも、みなさんすごい人だ!それぞれにプロとして立派にお仕事をしているからである。若い時に蓄えた知識にさらに擦り込み作業をし、知識の泉を増やしているのであろう。そこの所が実は頭が良いのかも知れない。

 何しろ、どこにいてもプロとしての知識を得ようする努力?…には敬服する。ある女子プロゴルファー同士の会話を聞いた。さぞ?技術的な事を話し合っているのだろうと想像したら実は違っていた。ファッションを含む、お洒落の話しである。さすが、女性のプロは違うと考えなおした。美しいフォームにファッショナブルな服装。これが女性の職業なのか…感じ入ったのである。

 私共、普通のおじさんとはやはり頭脳の回路や考え方がどこか違うのである。ある日、女医さんとご一緒に手術に入った。我々は術中、緊張のほぐれる時がある。その時、グループ間の会話をする…が、看護師さんと女医さんの会話は医療や技術的なものではなかった。夕食の献立を語り合っているのである。主婦と2足の草鞋をはく彼女達。どのような逆境の時間帯でも頭の片隅に家族を慮って働いている職業なのだと分かった。

 一緒に手術していた私。つまり、一人の外科医は目の前の事のみに頭を悩ませ、家庭を振り返る余裕もなく汗をかいているだけの頭の悪い奴だった。

料理

 確かにカミさんの料理は天下一品である。そんじょそこらのレストラン料理に負けず劣らずの内容である。他のご家庭のお料理と比較したことはないが…とにかくわが家の料理はおいしい!

 ただし、ただひとつの欠点があり、この事実をカミさんには言いがたく…困っているのです。結婚生活40年以上ではあるが、彼女の料理に注文をつけるのは容易ではありません。長い間我慢していた心のうずき? いつ告げたら良いのか?日々迷っていた少しの不満? ではあります。

425136377271こんなおいしい世界一の料理、私だけに作ってくださるありがたいお料理、言うと気まずい夫婦仲になるのでは? など考えると勇気が湧かない40年間でもありました。でも、いつかは訴えてみたい…言わなければ分かってもらえない事実、心の中のうずきが始まった。

 ある日の夕食時、そばには二人の娘も座っていた。時は良しである。絶好のチャンスだ! 夫婦仲が気まずくなっても、離婚話に発展したとしても、娘二人が取り成してくれるかもしれないと考え、ついに決心した。「おかずをもっと、ごはんをたくさん、お肉やおみそ汁ももっと増やしてほしいのです」「僕は男だから女性方と違って料理には量が欲しいのです」そばで聞いていた娘たち二人、「アラアラ、私のおかずお裾分けしますネ」など気にしてくれた。うちのカミさん、慌ててギョーザを焼き増してくれた。おかげで離婚話にもならず一件落着!

 昨夜は久しぶりに満腹で幸福だった。クリニックでも注射や薬の量に加減はある。分量が分かりにくい時は少なめから始め、経過をみて量を増減させる。これらは症状を診て判断し、最終的には患者さんの自己申告や病の軽快状態が源になり、医師が決めていく。私はおいしいカミさん料理を食べ続けた過去、実は正直に自己申告をしなかった結果であろうと考えたが、翌日の夕食は盛りだくさんの料理が出た。うちのカミさん良い判断であると感心した。

 

yes and no

 旅行客の要望にホテルマンや旅行業者は決して「できません」とは言わず「何とかやってみましょう」とお答えします。すごい職業だなあと感じ入ります。お客さまにすれば半分は断られるかもしれないと思いつつのお願い事です。最終的には希望条件が合わない事もあるだろうけれど、お客さまは努力されたことに感謝する部分はあります。

 基本的にはどんな職業にも同様のことは多少はあるのかもしれませんが…。医療の場合はどうでしょうか? 乳がんの方に治せませんとは決して言えません。現実的には治せる治療法を検索したり、専門医を探し紹介していきます。病は「治せる」と断言できるものが少ないのも事実ですが、医者には治せる最大限の努力が要求されていきます。

 美容外科の場合はどうでしょうか?「この鼻もっと高くできますか?」と言われたら「イエス」と答えます…が「3㍉ほど高く!」と要求されますと「できるだけやってみましょう」とお答えするでしょう。鼻の高さに計測法の基準がないからでもあります。同様に、「美しくしてください」という微妙な要求にもイエスと言いにくくなります。美しさにはある種の個性が必要だからかもしれません。

 一方、術前・術後の写真を比較すると明らかに美しく変化しているのに、「変化が無い」と術後訴えられる方もおられます。理由は顔全体のイメージが変わっておらず周りからは変化なしを指摘されるからです。部分的変化は他人には分かりにくいものですが、実はご本人はすでに気付いておられることが多いのです。気付いているが他人からの評価を得たい! という内に秘めた気持ちがあるのでしょう?

 しかし、実際は案に相違し友人からの評価は辛い。そのため、きれいな変化があるのにご本人が落ち込む悪循環を生む時があるのです。夕方「おいしい夕食ができています!」と遠くでカミさんの声がします。要望せずとも常に温かい食事を作ってくれる彼女、おいしさの結果はともかく、私の答えはいつも感謝の「イエス」です。

山椒は小粒で

 先日、ほーむぷらざ様にお招きいただきました。タイムスビルへの移転を兼ねてのお気持ちとお受けし、喜んでお誘いに乗りました。パーティーは質素でしたが、主催者のお気持ちが十分に表現されているおもてなしでした。心のこもった軽食に司会進行の流れがスマート、いろいろな職種の方々がお集まりでした。

 例えば、野菜ソムリエや工芸作家、それを取材して深みある記事を書く方や絵を描き写真を撮る方など、小さな味のある紙面作りに協力している方々の集まりでした。医療しか分からない私にとっては、おひとりびとりが輝いて見えたのは確かです。私とて異業職の方と酒を酌み交わす機会は多いのですが、当日の方々は趣が違うように感じました。

 山椒は小粒だが、正しく才色兼備にあらず、「彩職賢美」なのです。ほーむぷらざさんがどのような意味合いで名付けたかは不明ですが、才色変じた「彩職賢美」、言い得て妙! 職を楽しみ、賢くステキに生き、笑顔の絶えないポジティブ思考の職業人。少し欲張って表現するとそのような仲間の集まりで、参加させていただき感謝の気持ち大でした。

 約30年、「ないしょ話」を続けました。最初はタドタドしく始まった拙い話、月2回書き続けると何とは無しに形らしく書きこめるようになったのもみなさまがたのおかげです。時々にお客さまからいただく「読んでいます!」の励ましは増えつつあり、がむしゃら時代から身の震えを覚える年齢にもなってきました。山椒は小粒のピリーとした味は出せないまでも、当初目標とした、医者と患者さまの垣根が低くなればと思った筆の先、今や美容医療の倫理をいかに高めていくか少しの精を出しております。

 彩職…彩りに濃淡を込めた賢美な紙面は、少々の生臭い新聞、時々のチャラチャラしたテレビとは違う味わいです。ほーむぷらざの発行当初から連載している松本嘉代子先生に当日教えていただいたピリーとした味の琉球料理店を、今度は訪ねてみたいと思っております。

夫婦げんか

 先日…。大好きなうちのカミさんと大げんかをしました。犬も食わない夫婦げんかではありますが…お互い後には引けないと思ったのです。

 私どもの引っ越しはつどつどお伝えしておりますが、うちのカミさんが引っ越し先のクリニックに初めて顔を出したのは引っ越してから2カ月目でした。その時、けんかの源が発生しました。女性が見る新しいクリニックへの評価は厳しいものがありました。当然、彼女にも物心両面で負担をかけてはいますが、クリニック内装の評価にお互いの話が及んだ時、事は起こってしまったのです。

 犬も食わないけんかではありますが、改修が出来上がってしまってからのご批判に私が反論し爆発したわけです。設計から建築、悩みに悩み…決定し出来上がった新クリニックに、身内とはいえ正直で辛らつなご助言は厳しいものがあり、お互いにやむにやまれぬ争いの源となってしまったのです。

 美容外科のお客さまと医師の間にも事は起こりがちです。美に対する見解の相違とともに金額という財源の重さが加わっている点はやや私どもの大げんかと似たり寄ったりかもしれませんが、実は商取引という点では明らかな違いがあります。医療のトラブルを避けるためには術前契約時、口頭のみとせず書面記載が大切ですし、術後の修正・追加の必要性と追加課金の設定が必須の時代になっております。

 戦後医療の丼勘定時代から多々配慮した商取引の契約条項設定の努力が昨今の美容医療には急がれます。私とカミさんとのけんかは犬も食いませんので、契約書なしで解決する問題ですし勝ち負けもつきません。クリニック改修前、私はカミさんに全く相談しなかったのも事実ですし、多忙な自宅の引っ越しで内装等をチェックする余裕がなかったカミさんでもあります。

 それにしてもないしょにしなければならない犬も食わない夫婦げんかですが、読んでくださる皆さまがおられるとしたら、たまのけんかもまた、楽しく嬉しからずや…と思っています。

トランスジェンダー

 彼女は一筋の涙をハンカチで拭った。診療室で瞬間カミナリに打たれたごとくの私は、心の奥に深い十字架を背負ってしまった。気持ちを持ち直し、今度はご主人に向きを変えた。腰を深く折り曲げ私をみた彼の顔にも笑顔は無い。物静かに遠くを見つめ、やるせなさそうな彼であった。その時、私が発する言葉は選びようがなかった。「ごめんなさいネ」。ご夫妻の返事はなかった。

 これから手術する方は彼らの娘(?)さんである。経験があるとはいえ、長い手術になる。麻酔専門医と3代目の息子が介助にたつと力添えを約束したが、私自身も数週間前からアレコレ手術の手順、必要なリスクの回避につき思考した部分は多い。娘さんは数年前から性別適合手術の一部、乳房除去を希望されていたのである。

 当院でも術前、数回話し合い、その後も専門の精神科医を親子で訪れ、最終的に決心した手術である。当院60周年記念事業の時、トランスジェンダーの皆様にお話を伺った。実際に要望に応えている形成外科、精神科の先生にもシンポジウムに加わっていただいた経緯もある。外国での手術を終え沖縄に帰ってくる方々を診ると、決して結果が良い方ばかりではなく、術後のフォローに悩む現場も多々あった。

 ゴルフの友人にもトランスジェンダーの方はおられるので最近では珍しい事ではなく、日常的に日の光を浴びる現実が出てきたのかとふと振り返って思ったり、先日は男性の胸を大きくしたところでもある。

 しかし、今回は大きな豊かな乳腺の除去である。意味合いが少し違い、実際にも見かけはまだお若いお嬢さんなのである。お母様の一筋の涙が何を意味するのか? 外科医に推し量るすべはないが、ここまで決心するのにはさぞや長い長い年月を要したのではないかとは容易に理解できた。

 丸山(美輪)明宏さんが「世明けの歌」を歌った時代から、性的に女性から様変わりが希望できる現代になっているが…。深く息を吸い家に帰ると、男勝りではあるがいつも優しいうちのカミさんが待っていた。

美容皮膚科

 昨今美容医療の領域では、皮膚科学の専門性が重要視され、ちまたでは大流行が続きます。美という永遠のテーマ、いつの時代でも、女性の心をつかんで離さないのでしょう。その目的で成り立つ美容皮膚科は、美容外科とはやや立場が違います。メスを使用し皮膚を切る作業とは異なる治療法が美容皮膚科領域には存在するからです。

 イメージ的にはエステに近いが、理論的で、科学的な領域と捉えられているところに多くの女性が魅力を感じ、美的効果に期待しているのでしょうか?当然、医療行為ですから、医療なりの功罪という特性も持っております。しかし、今や若い女性でコラーゲン、ヒアルロン酸、エラスチンなどの名前を知らない方はおられないでしょうし、これらの成分が皮膚のどの層に存在、どのような役目を果たしているかなども理解している方は多いと思います。

 実はこの皮膚層に及ぼされているさまざまな悩みへの診断・治療のもろもろが美容皮膚科医の専売特許であり、エステより効率よく治療でき、美容外科より安心を生み出す源になっているのです。

 例えば、女性の大敵であるシミ・小ジワは皮膚の真皮層というわずか1~3㍉の厚さの中で生じ、治療のターゲットになっているのです。まさしく、美肌の優劣、良否はこの真皮層をいかに若く保ち続けることができるか、予防と治療のポイントが集約されている部分です。

 「みずみずしさ」や「スムーズな肌触り」といった細かいこだわりを持った治療、女性だけが感じることのできる感性がこの部分にひそみ、美容医療の需要を生み出しているのです。この美しい肌を作り出す秘伝の職場、つまり私共のクリニックの一部にある美容皮膚科部門はエステティシャンや看護師さんでにぎわっている空間でもあり、「美容外科」部門には立ち寄らないうちのカミさんでさえ、コッソリ「美容医療」部には顔を出しています。やはり手術なしで美しくする美容医療、大流行なのでしょうネ。

医療リサイクル時代

 昔は!などと書き出すと少々気がとがめるところもあります。古い人間が何を言いだすのだ! お叱りを賜りそうです…がしかし、国の医療費が約40兆円と国家予算の半分を占める今、どこかで医療人自身が医療経済の在り方、見直しを提言しなければならない時期にきているように思います。

 健康に費やす投資額と効果について幾多の論文があることは知っております。ただし、それらは医療人が自らを律し身近なところから具体的に医療費削減をこうするべきだと述べた提言とはかけ離れているようにも思えます。

 予防医療や食生活改善は当然大切なことですが、大きな病院になればなるほど、身の回りに少しのぜいたくを見る時があります。昔は…です。血液の付いたガーゼを何回も洗い乾燥させ、消毒し使っていました。明日の手術のため、夕方遅くメスの刃を研いでいたものです。今や全てが使い捨て、いわゆるディスポーザブルになっています。手近なところで言えば、私のクリニックの脂肪吸引装置、優秀ですがチューブは使い捨てで5万円です。購入メーカー側からディスポーザブルを要求されるとチューブの消毒再生はできないのです。

 少し古い手術器具が故障すると「米国メーカー製は故障部品の交換がありません。新品をご購入ください」となります。このような事例は大きな施設になればなるほど転がっておりますが、管理部門では分かりにくく、使いこなしている医療人こそが提言していくことでしょう。

 半面、機械メーカーさんや薬業者さんは腰を低くして販売網を広げています。新しいものを買わないと遅れてしまう、そのような医師の気持ちにスーッと入ってくる勧誘話。まだ使える古い機械のリサイクル医療ショップがあればと思っていた矢先、今年中にそのようなシステムができるらしいと風の噂で聞いてうれしくなりましたが…ついつい昔は! と思う自分に、医師自身が古い殻から抜け出しリサイクルをしなければいけない、とも思ってしまったのであります。

引っ越し

 クリニックの引っ越し、3代目が決断した。建物はすでに50年は経過している。所々雨漏りもする。どこから漏れてくるのか分からず応急処置も思わしくない。いつかは(?)建て直しや移転など考える時期が来るであろうことはボンヤリ考えていた。

 でもである。長年の銀行さんからの借金はすべて返し終え、心の負担から解き放たれホッとしていた最近である。今更の借財は勘弁願いたい…正直思っていた。過去20年近く、少しずつ借金が少なくなっていく楽しみ、預貯金をのぞく都度「ふうと」ため息をつき過ごして来た人生でもある。そのおかげで現在の3階建ての建物がある。引っ越しとはそこを立ち退くことを意味している。決心するために、もう一度おなかに力を入れ、大きく深呼吸をした。

 さて! 引っ越しはやむを得ない…が、引っ越し先の選定や銀行さんとの再交渉も必要になる。この年で多額をお借りできるのか? 担保はどうする、課題は山積みである。単純には前へ進めず、アレコレ考える。市場調査やお客さま動向を含めた将来予測は絶対必要だ。職員にも協力をお願いする、必要不可欠な事は山ほどある。そして、移転作業を進めている今、われわれは多くの方々のお力添えを要し、ご協力をいただいている。恐らくこのご恩返しは数年後になるであろうが、それまではわれわれクリニックの底力、団結力・総合力を改めて問い直し、気合を入れ直すのみだ!

 実は私にとって引っ越しは、仕事場とすみかを含めてのことで大仕事になる。そのため、まずはいらないものを捨て去る作業から始まった。クリニックでは日々の仕事の合間、不要物を思い切って処分していくが…積み上げた50年のより分け作業は容易ではない。一方、わが家の引っ越しはクリニックの場合とどこか違った。作業の中心はカミさんである。「いらないものの整理は?」と聞いてみた。彼女からはっきり返事が返ってきた。「必要な物のみ取り置き、残りは捨てます」。何となくであるが、仕事場と家庭では「断捨離」の仕方が違うのである。

波と風の合間に

 三代続けば永代続くとはいえ、その間の波・風は強い。特に医療は専門職ゆえ技術習得と経営継承の両方があり、事業継承は殊の外難しいのである。さらに医業経営者は医者でなければならないと法律ではなっており、蛙の子は蛙であるがごとくクリニックは医者から医者への引き継ぎとなる。政治家は地盤、看板が大切と言われるが、後継ぎに法的決まりがあるわけではない。すなわち、医療だけは法律上、医者以外が経営を引き継ぐわけにはいかないのがミソなのである。

 そのため、開業医の子供は同じ専門医である必要があり、永代とは30〜40年ごとの後継ぎを育てることになる。われわれは幸いに3代目は目安がついた。その点、私は野球で言えば中継ぎ役を終えつつあるが、続く3代目も実はクローザーではない。つまり、中継ぎを上手に続けねばならないのが開業医である。厳しい時代、徳川家は300年よく続いたものだと感嘆できるが、医業はその特殊性ゆえ世襲の難しさがある。

 特に県内の開業医は戦後の混乱期、身をていし地域医療の一翼を担ってきたが、ここにきて創業医たちが次世代継承で苦労している姿が見えてくる最近である。一方、医業継承者も先人のまねばかりではすぐに激しい過当競争に後れを取る。若人は過去より未来の夢を輝かせることが大切で、その意味、若い医者は新しい技術に息吹を与える知恵と努力が必要になる。

 先日、60年ぶりの患者さんがお見えになった。形成外科創業医の父が顔に植皮を施した女性である。しげしげ診た60年目の植皮は言われて初めて分かるほどの立派な出来栄えであった。また、過日には終戦直後に隆鼻された別のお年寄りを診た。その方は父が入れた隆鼻材を除去させていただいたが、材料は象牙材であった。

 昔はこのような物を使ったのだなぁと思わず感じ入り…父が手作りしたはずの珍しい象牙の隆鼻材、しばらく手に取り懐かしく若かりし頃の父の足跡を思い出した。時代の流れだけは永代続くものだ! 直近の臨床での出来事である。

翔舞、舞姫

涙ぐむほど感動しました。年を取り、涙腺が弱くなったためではありません。舞台を見ている時は感嘆しきりで涙を流す余裕はありませんでした。昨年暮れのお話になりますが、彼女の舞台にトコトコ一人で出掛けてみました。誰から送られ、なぜ招待されたのか不明でしたが…。代表名は沖縄タイムス社のT社長と玉城流翔節会門下生とありました。玉城節子師匠の踊りを久しぶりに見てみるか?くらいの軽い気持ちでした。ひょっとすると私を招待した方からの「毎日酒ばかり飲まずに少しは沖縄古典芸能を見て心を洗いたまえ!」との仰せであったのかもしれません。会場は満席でした。早く行ったつもりですが、結局後方席での鑑賞となりました。祝い獅子は宝塚の踊りのようであり、首里城賛歌は歌劇のようでしたが、国頭サバクイの歌でなぜかほっとしました。やはり圧巻は玉城師匠の「かせかけ」や「花龍」。古典があって初めて創作の良さがにじみ出ます。誰がつけた題名か定かではありませんが、まさに翔舞であり、美ら清ら…。「観ていただく」との節子師匠の謙虚さが舞台後の涙につながったのです。県内両新聞社が手を取り合って沖縄の伝統芸能を育てる意気込みに感激しましたが、琉舞他派の友情出演は伝統芸能を育てるのだ! 師匠のお気持ちに強く心打たれ、それが多くの芸能人を動かす源となっていたのでしょうし、節子師匠のお人柄がさらに加わっていたのだろうとふと思いました。このような伝統芸能がある沖縄に生まれ育って良かったと改めて感じ入った舞台、自分の人生を描きながら未来を見つめる作舞には、中身の濃い粋な演出もありました。実は、見ほれて脱帽した舞姫は学生時代の後輩です。同じ年月を生きてきたはずなのに、他人を感動させる器も修練もしてこなかった自分を恥ずかしく思いながら心に感動、頭に反省でいっぱいの舞台後です。そして伝統文化は心を揺さぶり、年寄りをもう一度奮い立たせる薬でもあり、新年こそ頑張るぞ!と誓っています。

信頼と友情

読者の皆さまにも学生時代や、職場の友、あるいは趣味が一致する方々は、たくさんおられると思いますが、あなたの友人・知人に共通する点は何かありますか?実は私、友人作りがうまい方ではありませんが、身近な仲間を尊敬することはあります。私が持っていない良さを見つけた時です。例えば私は職業柄、外国に行ってもほとんどがとんぼ返りで、その土地の風俗・習慣、他国の特徴に溶け込む余裕さえありません。しかし、外国から来て日本で仕事をし溶け込んでいる方を見ると、私にはない特長と積極性に感心し舌を巻きます。ところが相手さまは私の特長を探しきれず、真の友人(?)にはなりきれないところがあるのです。友人になれない者同士は何が壁になっているのだろうと、ふと思いました。ひょっとするとお互いの良さを知らず損をしたり、逆に欠点に対してより敏感に反応してしまうのでは、と結論づけたりします。美容外科手術は、美を目的とし微妙な部分を問題のポイントにする仕事です。そのため、治療の要求部分が少しでも狂うと医師技術の欠点のみが浮かび上がり、二次修正が難しくなります。友情関係以上に信頼の糸が途切れてしまうのです。さらにそのような方がセカンドオピニオンを受けた場合、悲惨なことにさえなる時があります。後医の言葉が火に油を注ぐ結果になりがちなのです。それ故、後医はより深い配慮、すなわち傷ついた患者さんを立ち直らせる言葉遣いを必要とします。患者さんと医師の信頼は、そうした意味では非常に壊れやすい部分があり、逆に相手の立場と利点をもう一度反すうしてみると、絆を強める時があるのです。先日、あのかわいいカミさんと大げんかをしました。理由は簡単です。外出に誘ったら体よく断られてしまったのですが、彼女の外出嫌いをうかつにも忘れていた私が悪かったのです。あの時、もう一度夫婦の友情と信頼を再確認すべきだったと反省するのでした。

ペース配分

日曜日の午後、何げなくテレビでマラソン中継を見ていると、先頭を走るペースメーカーさんがいた。この役目、主催者側が適当な方を選ぶのだそうである。適当とは申せ、それなりに経験がある方であろうし、一定の速度が要求される専門性を要することになる。一方、選手の方はそうはいかない。競走相手の顔を見たり、坂道、下り坂、向かい風など自然の状況を勘案し走り、最終的にはあらん限りの体力勝負だからである。ペースメーカーさんは30㌔あたりで自然にいなくなる。当然、最後まで走り切っても良いのであろうが、常に一定の速度で完走できないのが、人間の精神力やスポーツの根源をなす肉体力競争なのかもしれない。われわれ医者も仕事中、一定のペースで作業をし1日を終えたいところだが、実際にはそうはいかない。ペース配分が難しいのである。外来の患者さんに要領よく短くお話をするとあまり訴えを聞いてもらえず、説明不十分とおしかりをたまわる。反対に長話をすると要領の得ない内容になりがちで、患者さんが治療のポイントをつかみ得たのか疑問の時がある。私の話が終わると当院の看護師は手術のリスクについて追加説明する時がある。患者さんが不安部分を再質問するのである。その時、医者と看護師の説明が違うと納得したはずの話がややこしくなり苦情になることもある。これらはペース配分より院内コミュニケーション不足とも言えるのだが、とにかく人様との仕事時の会話は難しい。「会話で成り立っているのが医療ではないのか?」と思われるほどであるが、無口な医者が良い結果を出しても不満足感が漂うのは、そのような背景があるのかもしれない。医療における診療・治療・経過のペース配分はペースメーカーが作るのではなく、医療人同士が患者さんを中心に有効に時間を作り、いかに走り続けるかによるかもしれないと考えた。マラソン中継を見ながら、少しの息切れでペース配分を忘れがちになる日頃の自分を戒め反省した。

鈍感

「性格の不一致があるのか?」。問われると、カミさんと私「ある」と言わざるを得ない。「仲が悪いのか?」と言われると、それほど良い仲でもないと答えるしかない仲でもある。趣味も一致しない。私は肉食派で彼女は野菜派、すごく自然なものを自分で育て食べている。屋上に小さな空間があった。初めは私が沖縄特有の花をプランターで植えてみた。たくさんの盛土や肥料も日曜ごとに仕入れ、自分なりにきれいなお花畑の屋上になったと花マルをつけていた。女性は花好きである、彼女も喜ぶであろうと勝手に期待した。しかし、それは私の単純な思い込みであることが後で分かった。女性を十把ひとからげにした単細胞的先入観を反省する羽目になったのである。数年後、すなわち、私が花作りに飽き始めたころ、突然、彼女が屋上庭園の大掃除をした。私が過去に愛した枯れ果てた草花は久茂地川沿いの肥料となり、新たに植えられたのがミニトマトや沖縄自慢のゴーヤーであった。これほど趣味が合わず、性格の不一致夫婦であるがゆえ…時々に伝えられる有名人の性格不一致、離婚は不思議に思っている。結局、われわれ夫婦はお互いの行動に少し鈍感なのである。花を植える私に彼女は無関心で、ゴーヤーに水をやっている彼女を手助けしない私。お互いに鈍感で反応し合わないので助かっている。患者と医者はこれでは困る。病気退治の目的が一致しなければならないからである。おなかが痛い患者さんに敏速に反応しない医者は性格不一致ではおさまらない。常に頭を敏に回転させ、口を動かし、動き回ってこそ患者さんに愛される医者である。その点医者稼業、書物にかじりついてばかりではいられない。つまり、生まれつき医者向けの性格が必要ではないか(?)と思われるほどである。さて、不一致、著しいカミさんと私である。今でも驚く彼女のあの美しさ、ひょっとすると別の美容外科医に治療してもらっているのでは? ふと考えた時、少々空恐ろしくなってしまった鈍な頭の私がいた。

モノレール雑感

夏、朝日が昇る頃、モノレールが走りだす。わが家は東向けに大きな窓があり、朝日がまぶしく入り込む。少し寝坊すると日の光とともにモノレールの音が聞こえてくる。モノレール建設当時の説明では騒音は問題無く、安眠は妨げられない…との事であったが、朝の静けさの中ではわずかな音でもカタコト響きわたる。私はモノレールの音と朝日のおかげで働く時間だぞと知らされる思いがして「よし! 今日もお客さまのため、ひと仕事するか」。心の中で決意する。わが家は、美栄橋駅と県庁前駅の中間に位置し、3階に住んでいる。すなわち生活の場はちょうどモノレールが走る高さに位置しているのである。モノレールが建設される前、専門家はどこを通すのが良いか? 喧々囂々の議論があったのを思い出す。住民説明会で、久茂地川沿いだけはゴメンだと私の父は主張した。彼は久茂地川に清流を取り戻す会に加わっていた。生活排水用の川ではあるが、旧那覇市で唯一自然を残す川でもあったからである。その川に便利とはいえ、鉄軌道の一種であるモノレールなどとんでもない…との主張である。しかし、父の本音は別にあった。恐らく長い工事期間になるであろうゆえ、自分の生きている間には出来るはずもなく、せっかく便利になっても自分が乗れるはずはない…と言うのである。結果的には父の言う通りになった。亡くなる1年前にモノレールは完成したが、体が不自由になった父はとうとうモノレールのお世話にはなれなかった。幸い久茂地川はその後の取り組みもあり、清い川になっている。世の流れは自然に静かに流れていくのであろうとふと思うのであるが、実は私は父に対し一つの美容手術を晩年に施術した。まぶたがたるみ目が見えにくくなってきたからである。おしゃれな父が高齢になって初めて受けた美容外科。果たして満足してくれたかは分からない…。今日もまた朝早く、満員の通勤、通学のお客さまを乗せたモノレール、見るたびごとに、父を思い出し、感謝する。

因果応報

大事件である。起こり得るきっかけはあったが、それが小事件なのか? 大事になるのかは分からなかった。実は今年に入り、わが秘書から辞表提出があった時、軽く考えていた。慰留すれば辞めるのを思いとどまってくれるであろうくらいの軽さである。仕事熱心で仕事好きと思っていたからでもある。何事にもひるまず、真っすぐ歩いていく姿勢も頼もしかった。私の片腕にも完全になっていたし、この原稿などの手直しも容易にしてくれた。それゆえまさか辞めるなんて、つゆほどにも思っていなかったのである。しかし、彼女の決心は固かった。辞める前の一カ月、積み残された仕事をてきぱき片付けていくではないか?理由は少しずつ分かってきた。私より旦那さまの方に人生の重きを置きたいというところなのである。これなら私がいくらジタバタしても始まらない。私の愛情は片思いであり、彼と彼女は相思相愛の仲なのである。わが元秘書はまっしぐらな性格である。思い込んだら誰も止められない意思の強さがあるが、当院に就職当時、本当に医療秘書が務まるのかどうか(?)さえ不安だった彼女である。数年もすると私の両腕となっていた。慣れない英会話も辞書を片手に外国のお客さまを堂々とお相手するくらいになってきた。そのような彼女、辞めた当初、すぐに復職するつもりだと思っていた自分が恥ずかしい。次第に事の重大さに気付いた時は大事件になっていた。さしずめ、軽い外傷と思われた患者さん、経過を診ていくうちに脳内出血を起こしている大事のようなものである。そのうち戻ってくるだろうくらいに思っていたわが秘書のあゆみさん。今や完全に彼氏の奥さまになっている。まっしぐらな彼女の性格ゆえ、愛情の全てを注ぐ相手はもはや私ではない。新しい秘書を雇い入れる気持ちも今はなく、小さな部屋でキーボードをたたく日々が続いている。哀れなわが身に世の風は冷たく寒く、因果応報を受け入れている。

ことわざ

「弘法筆を選ばず」。誰しもが知っている日本のことわざです。弘法大師は空海とも称し、真言宗の開祖であることも広く知られ、日本三筆の一人と言われる名書家でもあるとされています。前述のことわざにも諸説あり、それに関しては後述することにしてみましょう。実は弘法大師と違い、現在の多くの外科医は手術器具や術中用いる光源や拡大鏡、さらにはバックミュージックにまでこだわりを持ちます。時には助手の看護師さんさえ指名するぜいたくでわがまま(?)な外科医がたまにいるのです。確かに術中、寸時の判断を要する時、寸時に手渡される道具に間違いがあっては困るのは当然で、術者と助手のあうんの呼吸が合わないと手術が滞るのは事実でしょう。執刀医が「アレをくれ」と指示したら「アレとは何か?」を察しすぐに出すのがあうんですが…介助のベテラン看護師は右手にハサミ、左手にメスを持ち、ハサミで拒否されたら即座に左手のメスを手渡すくらいの配慮が容易にできる余裕が必要です。「アレとは何ですか?」と聞き返しているようだとバトンタッチに間延びが生じます。メスが欲しいのに「メスをください」と最初から言わないのが外科医のわがままなのかもしれませんが…。チームワークが必要なのが術中であり執刀医に欲しいのは正確な鶴の一声ですが、現実の外科医はやたら手術道具にこだわりを持つ半面、無口な動物的職人なのです。確かに外科医にとって手術道具は自分の手先のように取り扱えるものでなければなりません。言い換えれば弘法大師の足元にも及ばない技術屋とも言えそうですネ。さて、筆を選ばなかった空海ですが、失敗もあり「弘法も筆の誤り」で有名な別の格言も思い起こされます。「応」の一点を忘れたところから始まったことわざ。しかし後日、点の入れ方が絶妙だったと伝わるところが大師の名人たるゆえんでしょう…さて、話の続きです。現代の美容外科医、どんなに腕が良くても術後の一筆を忘れては画竜点睛を欠き、名人失格の評価となりそうです。

困っているのは誰だ

彼女や彼氏の名前を入れ困っている。「除去したい」。先日の診療室、強く希望している若者がいた。体に入れた過去の刺青である。実は困っているのはご本人だけではない。除去を頼まれるわれわれも困ってしまうのである。ご本人が過去を悔やんでいるのはよく分かる。別れた恋人の名前、いつまでも体の片隅に残っているのは、気になって仕方のないことであろう。ひょっとすると別れた相手も体に入れているはずの刺青、どこかの美容外科でとってもらっているのかもしれない。昨今の若者の刺青、やくざの彫り物や討ち入り浪士の血判状ともまた違う。肉体深く刻み込まれている色だから治しにくく始末に負えないのである。血判状は破ってしまえば良いし、国と国との約束事も簡単に破れてしまう(?)昨今ではある…。皮膚の真皮内に深く残った赤・黒色は容易にとれるものではない。近年は刺青とりの特殊レーザーまで開発されているが…である。このレーザー機械、高額であるが売れ行きは良いようである。刺青がはやっているからこそ除去したい若者も増え、刺青とりのレーザーが売れる。まさに「風が吹けばおけ屋がもうかる」の例えに等しいが、高額なお金を出してでも除去したい刺青となると、別れの手切れ金をレーザーメーカーという赤の他人に支払っていることにもなる。刺青にまつわるこの状況、一方で世にも不思議な物語とも言える。レーザーではなく、その部分の皮膚を切り取ってしまえば体に入れた元彼(彼女)の名前くらいは消せるが、その傷を思って過去を悔やむ奴がいるから、なおのこと厄介でもある。元々、愛の証しは刺青ごときで決まるものではない。恋人同士とは共通の人生行路をもって始まり、継続させるものなのである。お互いを好きになり刺青を入れる前に、目標とする人生の歩みが一致するかの確認が決定的に重要なポイントである。今日もまた、刺青とりで泣き出しそうな彼女を前に、あの高いレーザー機械を購入しようか、ハタと困ってしまう僕なのだ!

3代続けば末代続く

「3代目」と書くとやくざの世界にも聞こえるし、歌舞伎役者ではないか?と思われるかもしれない。しかし、彼が沖縄に帰ってからはや1年半が過ぎた。ボヤボヤしてはいられないとの焦りもあった。なぜなら…彼は当院の跡継ぎ目的の帰郷である。小学校を卒業後、すぐに単身関東で勉強した。医学部に入り卒業後も東京でアレコレ働き、30年ぶりに奥様、2人の子ども連れで帰ってきた。時は良し…であるが、まず3代目の手術をコッソリ眺めてみた。100点はつけられないがまずまずとは思った。親の欲目…は無いか?そのため客観的評価を職員やお客さまにも聞いてみた。皆さま方から正直なご感想を頂いた。頃は良し…であろうが、それだけでもまだ不十分である。接客態度、謙虚さ、今頃の医者はサービス精神もなければいけない。上から目線では、いくら腕が良くてもお客さまからの信頼はなかなか得られるものではない。医学の知識のみならず社会性や経営学、時には哲学さえ必要な時がある。このように考えると…躊躇することがある。沖縄の地に根付くには歴史が浅く3代目に地域特性の全ての知識が備わっているわけではないからだ。でもである…人間は誰しも未熟な部分を持つから人なのである。そのようなことを考えた時、2代目の私は3代目に全てを譲ることを決意した。開業して65年目、形成外科クリニックとして日本で非常に古く、ある意味、歴史ある開業医になっている。私だってまだまだアレコレできるエネルギーはある。でも地位を退く時は潔く身をおさめることも必要である。3代続けば末代続くとのことわざもあるが、支えてくださったお客さまのおかげであることは確かである。2代続いたゆえ患者さんの手術歴調査ができるのも医学的には貴重な資料になる。狭い沖縄の地、それができる利点もあり、医者としての妙味が味わえる。今後は美容医療の産業としての価値がどれだけあってそれを伸ばせるか? 興味深く、アジアへ向けての3代目の腕…期待されること大である。

カミさんのやさしさ

今頃? と言われると身もふたもないが…。 最近、カミさんの真のやさしさに気が付いたのである。誤解のないよう付け加えておくが、元々やさしい女性ではあった。わが子かわいさは、どこのご家庭も同様であろうが、時々テレビから流れる悲しげな子どもの被害ニュースに顔を背け、テレビを消す。そのような彼女である。あまりにも痛々しいニュースは最後まで見届ける気持ちにはなれないのであろう。カミさんの気持ちは長い付き合いでくみ取れるが、見方によっては冷たい人だと誤解を受けかねない。子どもにはこの上なくやさしい母親である…が、私にはどうなのだ? ふと思ったりしたのも同じような誤解からであった。結婚以来、お風呂場で私の背中を流し、伸びた足爪を切る。いびきをかくと枕を直してくれるやさしい彼女。毎食ごと彩りを添えたおいしい食事を用意するカミさんであるが…疲れて帰ると「早く眠りなさい!」とこともなげに強調する。私は「眠りなさい」の前に「お仕事ご苦労さま」の言葉が欲しいだけなのだが。甘えているのかもしれないと思う…が、時に“頑張れ亭主”の一言が欲しいのである。企業戦士は欲深い働き手でもあり、この要求、多少わがままであろうが、励まし言葉の幾つかは疲れた体を奮い立たせる特効薬にもなるのである。ところが、である。やっと彼女の真のやさしさに目覚めた最近の自分がいた。元々やさしい部分の多い彼女、気付かなかった私でもないが…。実は、私がやさしさを再認識したのには原因がある。それは、たった一つの原因である。私自身が少しのわがままをやめ、逆に彼女にやさしく接するようになった時、真実が見えてきたのであった。 振り返ってみてトラブルの多い医療界、医者がもっとやさしく弱者に接すれば、手ごわい病魔に勝てるのでは? 多忙な企業戦士はふと思う。そうしてふとふと! カミさんのやさしさに気付いた時、仕事場での愚かさを反省する医療最前線の戦士なのである。

外科医

「私はケロイド体質です」。初診時、このように彼女は私に告げた。メスで切る治療はやりたくありません、とも付け加えられ、胸の手術を希望した。その時、私は彼女の訴えは正しいものだと思った。誰しもが自分の体にメスを入れるのは得策でないと分かっているからである。 一方、外科医はメスを使用するのが好きな人間だ…とも多くの方々は思いがち。しかし、経験ある外科医になればなるほどメスを握るのにちゅうちょするものでもある。たとえ皮膚のシワや溝に沿って切開するなど傷を目立たなくできる理由があったとしても、結局メスは人工的なけがを作る行為でしかないからである。 このように考えていくと、外科医ならずともメスは使用したくないものである。ただし、やむなくメスを握る時、皮膚を切るのではなくメスで病を退治するのだと考えると、外科医の利用価値はやや上がる。術直前、外科医は、一転してポジティブ思考にならなければならない。イヤイヤながらメスを走らせるわけにはいかないからでもあるが、さてさてである。 前述の「私はケロイド体質です」の患者さん。われわれはこのような方に対して原点に戻って考える。つまり本当にケロイド体質なのだろうかを疑い、どのような理由でそのような診断結果になったのかを推考するのである。 確かに人間の体にはケロイドになりやすい部位はある…が、それだけでケロイド体質とは断定できないのである。ケロイドになりやすい場所、これは誰しもが持っている特徴的部位であり、傷の盛り上がりを単純にケロイドと誤解しているかもしれないこともある。やむなく使用するメス、そこには解きほぐさねばならない皮膚の性状が横たわる。 年々進歩し、要求が高度化する美容外科、切った貼ったの時代は過ぎていく。皮膚を切っても傷にはならない近未来が来るのかもしれないがとりあえず…今、しばらくはメスでお客さまのお世話を続けねばならないわが身である。美人作りに切れ味するどく励む時、握るこぶしに祈りを込め、手術に挑む外科医に変身する。

理屈

 理屈や理論があって学問は成り立っている。  医学生の頃、私は各科の講義を受けた。その中で重要視されたのが、沖中重雄教授の書いた内科診断学であった。飽きるほど読んだ記憶があるが、実は今は覚えていない。  当時は単なる目で見た書物であり、耳で聞いていた講義だったわけである。インターン実習時には、確かに聴診器で患者さんの異常ある心臓音を聞いた覚えはあるが、どのようなリズム音かなど記憶から消え去っている。 しかし、医師になり実践を積み重ねると、あの時の講義内容や患者さんの悩みが、頭や耳から薄ボンヤリとよみがえる。  外科医になり読みふけるのが解剖書である。若い時に尊いご献体で勉強した経験は、内容は忘れても大切さは身をもって記憶に残っている。解剖学のページを開くたび「あのご遺体の方はどのような人生を歩まれ、最終的に若かりし学生に尊いご遺志を示されたのか?」を思う。経験深く積み込んだ臨床医は、偉大な決意に今頃気付くのである。  医学部を卒業すると専門分野を決めねばならなかった。  沖中教授の内科学を読むとさすがに奥深さに圧倒され、いつの間にか(?)内科学を避けるようになっていた。内科医はクラスで上位者が専攻する意識が芽生えていたのである。その結果選択したのが目で診て分かるもの、皮膚科や形成外科であった。二者選択から外科系の形成外科になったのである。  今は、流れ流れて田舎の美容外科。しかし、美容外科でも大切な基本は、内科診断学や解剖学である。過去に理解できなかった医学の理屈が分かりつつある現実は…結局、実践を通して分かった理論の理解である。若い時、理解を深められず、開けることのできなかったドアの鍵、やっと見つけたうれしさがある。  まさにあの時のあの彼女、美しさだけでほれ込んで結婚したうちのカミさんである。今頃になり、理屈抜きで彼女の良さを知り、若かりし頃、深読みできなかった自分の愚かさにあきれかえる現実も同時に味わっている。

メル友

 昨今のクリニックの特徴…それはインターネットでの問い合わせであろうと思います。スマホや携帯で家族割引があるように、友人や家族同士、お互いがメールで容易に連絡し合える便利な世の中になりました。  先日、産休中の看護師さんから、ホヤホヤの赤ちゃんの動画が送られてきました。私は画面に向かって「ベロベロ、バァ」をやってみましたが、実感が湧きません。しかし、赤ちゃんが成人する頃の未来では、立体動画から赤ちゃんが手を差し伸べる時代になっているのかもしれません。  一方、わがクリニックへも問い合わせが増えています。見知らぬメールの友人は、診察なしですぐに手術を希望する剛の者もいれば、納得するまで同じ質問を繰り返し送信される方もおられるのです。当方もお返事で、病気のあれこれ、手術のリスクを付け足してみますが、逆に心配した相手からは倍返しの追加質問がきたりもします。  このように雑多で、身の上相談のような問い合わせも珍しくない昨今、突然ですが見知らぬメル友(?)が外来診療に現れ、当方を大慌てさせます。ご本人にとっては、メールのやりとりで十分にお互い理解し合えている思いがあるのでしょうが…。われわれにとってはいきなりの初対面、ましてや相談内容の詳細はメール内容を見ないと分からず、戸惑いが生じるのです。  確かに、メールでは「手術ができるだろう」とお伝えしましたが…実際に診てみると「難しそうで手術は控えておくべきだ」と反対の現実も見えてくるのです。メールの文章のみでは、問題点や病状、希望の読み違えがあります。医療の基礎はやはり直接の面談、目で診て話し、納得することが必要となります。  しかし、先日の私はうかつでした。直接「今夜の夕食少しまずい?」とうちのカミさんに口走ってしまったのです。苦労して作ったごちそう批判に対し、逆ににらまれてしまいました。メールでやんわり伝えるべきであったか? 思わず反省し考え込んだ、メル友・カミさんとの直接対話でした。

思い出の写真

 「あなた! これ捨てますよ」。うちのカミさんが珍しく、私に同意を求めてきた。   通常は、さっさと片付けをする断捨離が得意な奥さまであります。例えば私の愛用していた手術着、断りなくズボンだけが捨てられたりします。理由はズボンのお尻が破けていただけですが、上着のみ残った手術着は使いようがありません。捨てられた理由を聞いても、もはや戻ってこないので、聞かない習慣になって久しくなりました。つまり、彼女が捨てるべきと決断したら、私のものであっても彼女の判断が優先し、処分は所有者に断りなく行えるのです。  それが…珍しいことに(?)今回は私に断りを申し出てきたのです。しかし、私は一瞬ア然としました。捨てる予定物は子どもたちの幼き頃に撮った多くの写真だったからです。生まれたばかりのいとしい赤ちゃん、初参りや七五三の記念写真、幼稚園や運動会などなど、私たち夫婦にとっては一枚ごとに思い出が湧いてきます。節目、節目の写真は保存しているようでもありましたが、でも…しかしです。どのような一枚でも家族の歴史がゴミ箱にいくのは忍びないものがあります。私は即座に「子どもたちには承諾を得たのですか?」。責任を他人に押し付けるような返事をしましたが、母親に従うよう育てられたわが子たちは、この件に関しどうやら反論がないようでありました。  後日、少し私は心配になり、直接長女に聞いてみました。「本当にわれわれの思い出の写真を捨ててもいいの?」「夫は妻に従い、積極的に手伝ったらいかがですか?」と娘。思いがけない彼女の返事は昔を懐かしむより明日が大切でしょう! と言わんばかりであったのです。  断捨離の意味のひとつに執着から離れることがあります。どうやら私は古い写真に執着し過ぎてしまったようでもあります。これからは子どもや仕事への執着を捨て、自由に生きてみたいと考えましたが…さすがにカミさんの居るわが家だけは捨て去りがたいものがたくさんあると感じ入り、一人思い出にひたりました。

小声の会話

 日常垣間見る彼女の行動は二つの様態がある。生理的現象でやむを得ないが、寝室か居間で寝ているか、起きている時は台所仕事で忙しい日々である。  彼女とはうちのカミさんの事であるが…、それ故、夫婦の会話は台所での立ち話が多い。その他の時間帯は仮眠か熟睡中なので話しづらいのである。しかし、コトコト台所で仕事中の彼女に話しかけるにはタイミングを見計らう必要があるのは当然である。   誰しもが熱心に仕事をしている最中に余計な話を持ちかけられると作業が散漫になり、やりにくいものである。特に台所で熱心にやっている仕事そのものが私の食事の支度だったりすると、結局困るのは私自身となる。いくら腕の良いコックさんであっても、日頃の味付け作業は微妙で慎重にならざるを得ない。カロリーなど栄養価のあるものを用意して細心の注意が必要ゆえなおさらであろう。  時々、ふと思うのであるが…日頃から慎重に料理する彼女がもし仮に外科医なら、きっと私よりもっと腕の良い医者になっているはずだと思う事さえある。彼女は調理師の免許を持っているわけではないが、調理師になっていれば、恐らく有名なレストランの長になっていたはずでもある。  日々台所仕事で忙しい彼女であるが、時々に聞こえないような小さな声でつぶやく時がある。「私はあなたのおさんどん役で結婚したのかしら?」。私には少しいやみに聞こえなくもないが…。たしかに現実は私の毎食の用意で忙しいのであり、そのうしろめたさからか、小さな声だけどよく聞こえる。それは夫婦の以心伝心ゆえのところがある。  でも…である。本日は彼女に聞いてもらいたいお願いがひとつあった。そのため台所の彼女に小さくつぶやいた。「今月、こづかい少しほしいのだけれど!」。しかし振り向きざまの彼女は大声だった。「聞こえませんよ! もう一度繰り返してください」。抑揚ある彼女の返事に私はそれ以上言葉を返す勇気なく、わが胸中、以心伝心で伝わらないのかなぁ〜と心の奥で小さくつぶやいた。

波と風の合間に

 私は美容外科医です。女性を美しくするためにお顔を治療する外科医です…しかしです! 「鼻を美しく」する時、どこまでなら安全な手術とは助言できますが、実際には美人を作る感覚や定義らしきものをもち合わせているわけではありません。  半面、美の反対、醜さの感覚は分かるのです。そのため手術中、少なくとも醜くはならないよう気を付けます。つまり、美しさの定義は少ないのですが、醜さは一般の人にも一定の共通した評価があると思うのです。  例えていえば、「私を美しくしてください!」。単純なお客さまの願いは漠然過ぎて答えができませんが、丸いお顔を三角顔にしてほしい要望には醜くならない程度に可能なのです。しかし、結果的に三角になったお顔、お客さまが喜んでくれたら良いのですが…元に戻してほしいなどの事があると逆に困ってしまいます。  出来上がった三角のお顔は醜くありませんが、ご本人の望みとする希望の型とは多少違うのでしょう。その点、術前に細かい具体的なお話し合いや、お客さまの精神状態の把握は大切ですが、お客さまのお望みがコロコロ変わると困るのです。  一方、三角顔になりお客さまが大変喜びになっても…まれに手術した私の方が半信半疑な時があるのです。実は自分の腕が信じられないのではなく、美しさの基準をもち合わせない自分だからなのです。そのような時、術前写真と術後を比較し良くなっているのを確かめ、自分自身を納得させるのです。一定の尺度を決め美しさの基準を求める学門はありますが…美容外科ではその応用が難解なのです。もう少し手を加えておくべきだった?反省するケースでも逆に大喜びをされるお客さまがいるからです。「誰にも知られず少しきれいになった自分」に大満足のお客さま。これが女性のお心なのか? と感じ入る時、美しさの定義なるもの、本当に必要なのか?疑問が生じるのです。  さらに不思議なのは…うちのカミさんが年々美しくなってみえる私自身は摩訶不思議な美容外科医なのです。

亭主の行動

 かみさんが台所の片付け、「ガチャン」と音がした。すごい音だった。   食べ終わってゆっくり本を読んでいたり、テレビを見ていた娘たちがさっと台所へ集まった。  事件だ! 私も駆けつけた。このような時、いの一番でないと、家族の女性陣からふがいない父親、母親の不幸をみないふりする亭主…の烙印をおされかねない。何事も懸命なふり? をするのがわが習性となっている。  さらに「あらあら! お茶わんを割ってしまって…」などの言葉も最初に発しては駄目である。 「けがはなかった?」。まず思いやりの第一声が女性の心をつかむことくらいは長い結婚生活、学んで久しいのである。娘たちが片付けに入ろうとするが、かみさんの落ち着いた声がそれをおしとどめる。 「破片が飛び散っているので近寄らないで」。慌てずに事故現場の検証が始まる。その時、私は初めて手に持つカメラで事故現場を撮影しておく。後日の夫婦げんか時の証拠にするわけではない。ブログの種が増えたことを喜んでいるだけである。  事件が落ち着いたころ、「歯の治療後に飲んだ痛み止めが効き過ぎ、手がすべったのだわ」。おかしなカミさんの発言がある。自分の不注意ではなく、痛み止めの薬のせいにしたいのかもしれない。私は内心、やはり寄る年波ではないか? など案じたが、このような推測は心の奥底深くしまっておくことも重要な亭主の心掛けなのである。  手術や治療がうまくいかなかった時、ついイライラの原因を他人の責任にしてしまう外科医がいると聞いたことがあるが…少なくともうちのかみさんは「原因は薬のため」である。その点、まだましな方かもしれないと考えた。壊れた茶わんは再購入できるが、一度傷ついた夫婦間のつなぎ合わせは難治であり、お互い新しい相手を探せるほど若くはないからでもある。  その日の夜半過ぎ、再び台所でガチャンと音がした。慌てて起きてみたが…ビールの入ったコップを娘が割っていた。あきれて物も言えず布団をかぶり、たぬき寝入りである。

母と子のつながり

 T子さん、当院の看護師見習いさんです。お子さんが2人、子育てしながら3年間の看護師学校へ通います。  見習いの期間中もこまめに洗濯物をたたんだり雑用が主体でしたが、早めに出勤しお仕事をこなしてくださいます。これからの3年間、育ち盛りのお子さんをみながら、学校の授業は並みの努力では務まりません。  私も数年間、看護学校長を務めさせていただきましたが、つらくて落ちこぼれる学生さんもおられました。  客観的にみてもいわゆる3Kといわれる現場です。医療の下支えの苦労は大変だと思います…、がしかし、T子さんは明るく元気です。勤務中お子さんの話をしますと日頃の笑顔がさらに輝きます。推測の域を出ないのですが、彼女の心の支えは彼女の愛するお子さんにあるのが直観的に分かる瞬間でもありました。  一方、看護師のS子さんやN子さんはただ今、育休中です。でも時々かわいい赤ちゃんを抱っこしてお2人ともクリニックを訪れてくださいます。独身の頃とは全く違い、貫禄(?)満点のお母さんぶりで幸せそうですネ。これが女性の幸せの源で、幸福感の特徴かもしれません。  私は3人の子どもがいるとはいえ、子育ての覚えが全くありません。男性にも育休制度がある現在ですが、恐らく私がその恩恵を受けたとしても、自分のおなかを痛めた女性の経験にはかなうわけもありません。  仕事場を通じて女性の社会性や家庭での現状をを知った時、異性からみるとすごいことだと理解はできても、自然体で仕事と育児の両方をこなしていることには感心します。美辞麗句を述べているつもりはありません。改めて彼女たちの忍耐力に敬服しているほかなく…振り返ってみてもわが家でのカミさんの落ち着きぶり、自信に満ちた態度にその源を発見するのです。  さてさて、いつもながらわが家の3人の子どもたち、重要な相談は決まって私抜きで…が多いのも、むべなるかなぁ〜と思った次第です。

奇々怪々

 形成外科という臨床部門は元々組織破壊された体の異常に対する修復作業が主体の医療です。例えば乳癌摘出後に行う乳房の再建や生まれつきの赤アザを治していくことが仕事になるのです。  私の勤務医時代も顔の骨折などをたくさん診て治させていただきました。やけどを負われた方に皮膚移植もやりました。思い起こすと悪戦苦闘の日々でしたが、けがで壊れた部分や、生まれついての変形を正常な状態に戻す作業をやってきたわけです。  その後、開業してみるとさらに一歩進んで正常な方に磨きをかける、つまりより美しく健康にさせる美容外科医へと立ち位置が変化してきたのです。  そこで! ふと気が付いたことがあります。形成外科は病的部分の修復ですから健康保険の適応になりますが、美容医療は保険ではなく自費扱いになる点です。  そこには医療行為に対する直接の金銭授受という大きな違いがあります。また企業経営という面が生じ、いやが上にも医療の競争意識が出てくる事実です。  競争原理は善悪、両端にあります。技術競争は医療のレベルアップにつながりますが、価格競争が生じると企業秘密めいた技術が生まれるのです。当然、患者さんに施された医療行為ですから、内容はご本人にお知らせする義務があります。しかし、そこに多少でも隠し事の技術が行われたら、医の倫理に背く部分が出てくるのです。つまり、医療競争が激しければ激しいほど価格競争以前に自分だけは特殊技術でお客さまをきれいにしています! といったよからぬ秘密めいた競争が芽生えてくるのです。  そのような秘密の結果、医療に不都合が生じた時、医療人とお客さまに齟齬が生じ、その修復は技術的な難しさと解きほどきにくい糸の絡みがみえてくるのです。このようなケースを私は最近経験しましたので、沖縄県医学会に報告する予定です。  しかしです。このように偉そうに書いている私ですが…実に奇々怪々な美容医療部門にいつの間にか身をおいている自分にあきれかえってもいるのです。

通い路

 通学路、通勤帯、誰しも覚えのある通いなれたあの道順。だまって歩いていても長い習慣で無意識にその道を歩いていく。ポケッと彼女を思い浮かべながらも間違いなくいける道のりである。ボ〜っと歩くと、いつの間にか通いなれた学校にたどりつく。学生時代、途中で行く先の違いに気付く時もあった。あの頃、常に同じ道を歩く自分がいたことは確かである。 通学路以外に定期的に通う道筋も一時期、私にはあった。医師会の理事時代である。仕事を終え、夕暮れ時を会議に向かう。帰宅は午後9時過ぎ、長い議論を終え帰る道すがらにあの「やま川」があった。 のれんをくぐるとご亭主がいて、女将さんの笑顔があった。通い路に必ずある道草の店である。出されるビールとつまみはおいしかった。何十回と通い常連となり、他の常連さんと何げなくの会話をかわす。話題はお互い仕事の愚痴になる事が多かった。時に政治論で口角泡を飛ばすが、好きなゴルフの話になるとにこやかな自慢話が始まる。 ご亭主と仲良くなると個人的にもお付き合いが始まった。おやじの病気や介護の時、足てびちをソフトに焼き上げた、焼きてびちを持ってきてくださった。ことのほか父は喜んだ! 医師会の仕事がお役ごめんとなっても通うようになってはいたが…やはり回数は減ってきた。 その「やま川」さんが店じまいをして、もうそろそろ1年、今でも外出時まわり道をし、かつての通い慣れた道筋で立ち止まる。しかし、閉ざされたシャッターはそのままだ。あの大勢の飲み仲間、今頃どこで新しいのれんを開拓し議論しているのか少し気になったが、やめにした。 恐らくである。私と違う道端の道草場所を探したのであろう。要するに交差点が違ってしまい、私とはすれ違いがなくなってしまったのである。 現在、わがすみかは仕事場の上、階段のみが通い道、道草を食う暇などなく…カミさんの出すビールとつまみはおいしい。がしかし、カミさんに仕事の愚痴やゴルフの自慢話はしにくいものである。

自分史の後始末

 医師は常に冷静であらねばならない。しかし、分かってはいても時にいらつく時がある。沖縄のことわざ「てぃーぬいじらー」。意地っ張りをいさめ、いかなる時でも心を落ち着けるべきだ! とは、先人の教えでしょう。

 がしかし、やはり私は時にいらつきます。緊急時、患者さんの全身状態の把握、基本的処置が終わってもすぐに次の手が思い浮かばず、個々の事例に良いアイデアが出ない時です。緊急時の処置やトラブル対応は時間勝負、限られた中で対応します。

 術中は神に祈っている時間さえないのです。「焦るな!」。心の中で叫んでも手が先へ進まない時もあります。介助の看護師さんも必死に手助けをしてくれますが、それさえも時にいら立ちを増強させることがあるのです。

 必要なのは考える時間的余裕です。出血があるのならまず、出血点を見つけ押さえることでしょう。そうすると10分程度、時間の余裕が生まれます。引き続き心にも余裕ができ、いら立ちを抑えるのにつながります。数十分の時間は一息入れるのに十分な時間でもあります。

 やむを得ぬ時は応援を呼ぶこともできるでしょう。落ち着くと過去の経験を思い出し、次の手順をゆっくり考え、介助者に指示ができます。

 これらの決断はすべてリーダーである執刀医の責任です。緊急手術終了後にも再確認の時間が必要です。その時、再出血の危険が少しでも疑われるときは、閉じた傷口を再度開き確認することも一つの決断です。

 意地を通さず、手さばきをちゅうちょしてはいけません。予定時間がいくら遅れようが…麻酔医や立ち合いの看護師さんに迷惑をかけたこと、心でわびながらです。いらだった自分の未熟さを恥じ、再度、傷口を縫い終えた後、神に感謝する時間が生まれます。

 これらは医学の教科書にも載っていない自分史の苦い経験です。学術書からは学べない臨床ですが、その事を後輩医師に伝える術を知らず、育ってきた長い年月が私にはあります。前記した、ことわざのなんたるか(?)を深く学び、40数年の歳月に気付く昨今です。

生活の匂い

 人間が生きていく上で衣食住は欠かせません。 いわば生きるための最低条件ですが、衣食住の内容をみると現代社会で生活する人々の性格がにじみ出ているのが分かります。いわゆる人間の匂いが出るのです。

 広い家に住みたい方もいれば、狭くても快適で良しとする方もおられます。また、服装に無頓着な若者がいる一方で着飾る女性がいたり、質素なお姿で過ごされる方も見かけます。このように見ていくと、何となくその方々の生活の潤いがにじみ出ている感がするのは私だけでしょうか?

 わが家を振り返ってみますと、ギリギリで手ごろな大きさ、間取りです。家族がこぢんまり生活できる空間であり、ふさぎこむ時、独りになりたい個室もあります。が、なぜか私だけは常にうちのカミさんと同室なのです。

 わがすみかは仕事場も近く、すぐ往復できる便利さですが、時々の雨漏りはいただけません。便利ではありますが、快適とまではいかない生活空間でしょう。

 当家で生活臭が明らかな場所が一つあります。冷蔵庫の中です。野菜やお肉が入っているのはどこの家庭もご一緒ですが、ビールもたくさん入っています。

 でもこのビール、私はあまり飲みません。女性の方々が毎夜1本ずつ飲んでいるのです。もはやお酒は男だけの飲み物ではありませんが…わが家の冷蔵庫は整理整頓がきちんとしているところが本当の特徴で、当家の女あるじの性格が表れているのです。物入れは少しの乱れもなく、狭い空間に無駄なく食物が入っているのです。

 衣食住は生活の基本ですが、時に危険にさらされることがあります。地震など自然の猛威です。もう一つ、日頃からの脅威は家族の病気です。自然への対策は社会全体で考えることですが、健康への対策は個人の努力、家族の支えが必要になります。家族の衣食住、守る基本はきちんとした生活習慣にありますが…心配りをするわが家の大黒柱であるうちのカミさん、本当にかぐわしい匂いが漂っているのです。

ノロ気話

 惚気る。

 私にとっては難しい漢字のひとつである。しかし、時々に使用せざるをえない時、のろけると読みノロけると書く。この漢字、外来語でもないのにカタカナ文字になる。日本語の使い勝手の良さではあるが、半面、「惚れる」という字に気恥ずかしさが伴うのは日本男子の欠点であろうとも思った。

 当院には背中に汚れがたまり、化膿して来院される男性は多い。背中が洗いにくく、かつシャワー生活の多い沖縄県の特徴かもしれないと思っているが!

 本日は風呂場でのノロ気話をひとつ。ある日の帰宅後、夕食前にひと風呂浴びていると突然、うちのカミさんがノックもなく風呂場に入ってきた。

 沖縄では前記したごとくシャワーの習慣が長く残っているが、寒い冬の季節は湯船につかる。体が温まるからである。しかしである。いくら長年連れ添った夫婦とはいえ、裸の男風呂にいきなり入ってきた中年の美女、私はさすがに湯船から出るわけにはいかなかった。「どうしたんだい?」一応は問いかけてみた。

 新婚時代にもなかったことである…が、怪しげな(?)雰囲気があるわけでもない。彼女は腕まくりをしながら私に近づく。「肘を出してごらんなさい」。カミさんの要求にその時「おや?」と思った。確かに誰しもが両肘部分は気付きにくい所。その肘が「汚れている」と発し、さらに肘から背中を軽い刺激のスクラブせっけんで洗ってくれたのである! 娘が最近買ってきた、流行のせっけんを試しただけのことであった…が、気付きにくく落としにくい場所の汚れをゴシゴシせっけんで流してくれたカミさんに感謝がわく。

 実は病院でもスクラブははやっている。医療人のユニホーム、手術用の掛け布、洗いやすいスクラブ布地になって久しいが、このような洗い流しは汚れを落とし、おでき予防や術後の傷にも良いのが昨今の治療のこつでもある。

 さて! 真冬の夜の夢、気恥ずかしさのノロ気とトロケ気分は終わったが、貴方もお試しになってはいかがですか? きっと心と体が温まりますよ。

味わい

 毎日の昼食と夕食はうちのカミさんがお作りになったものをいただく。

 当家の食卓はカウンターである。目の前で食事作りにいそしむカミさんの姿をみながら早く出来上がってこないのか? どんな味なのか? 考え…おなかのすいた外科医がカウンターに座っている図式である。食する時間は毎日決まっているので、恐らくうちのカミさんはそれまでに手頃な料理を見繕って準備しているのであろう。

 定時にいつものカウンターに座ると温かい食事がすぐに出てくる。何を食べようか? メニューで迷う必要もなく、日々のカロリー計算は料理をするカミさんが常に考えているはずだから気楽なものである。その点、敬意を表し丁寧語を冒頭に使用した。幾ら便利な世の中になったとは言え、尊敬の念を抱くのは当たり前のことには違いない。

 冬には冬の、暑い夏には栄養たっぷりボリューム満点の品が出る。料理の味そのものはもちろん、味わい深きカミさんがいるおかげで仕事中、外科医の腕はさえわたり、メスさばきも良くなるわけである。

 外科系クリニックではことの外大切。患者さんの手術への恐怖をどう取り除くのか?…術前の味深き伝え方と術後のフォローという長期信頼をいかに築きあげていくのか! 味深き絆は大切である。

 カミさんの味付けは料理だけではない。彼女の教育に慣れ親しんだ子どもたちは大きく育ち、それぞれに人生の味をもっている。味のある彼らの性格は人生の輪でどのように生かされているのか分かりにくいが、カミさんの味で育った子どもたちがおかしな味付けに染まるはずはないとの自負ももっている。

 本日はお正月だ!! 特別料理でタイの尾頭付きやおせち料理が並ぶ豪華な食卓、特別ゆえ本日はカウンター料理ではない。おとそを飲んで少々酔い頃の時、最後にいつものカミさんのみそ汁の味が欲しくなる。

 味わい深い食卓は家族全員がそろうにぎやかな食卓ゆえ、さらに深味が増す。今年もそのようなお正月気分を味わい、一年の楽しい出発点にしたい謹賀新年であった。

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